庭  長


                                                  加田美保子

肖傑会長
景徳鎮に到着早々、肖傑会長から一人の女性を紹介された。
彼女はバッグの中から身分証のようなものを示し笑っている。
よく見ると司法に関係した仕事をしている方だった。 


 

裁判官   
最初私は、彼女は大会のスタッフの一人かと思っていた。
いつも私たちの近くのテーブルで食事をしていたが、
私たちのお世話をしてくれていたことに気付いた時があった。

「お茶ないよ〜 お粥持ってきて〜」‥等
最後の食事のとき、厦門から参加の馬さんが通訳してくださり、
彼女が景徳鎮の「庭長」だという。
つまり、裁判官であるこが分かった。

今日は、趣味のカメラが嵩じて、アルバイトのカメラマンとして
この会に来たということだった。

 



庭長(裁判官)のこと


中国の司法は、907年に唐が滅亡し、
その後の五代十国時代の戦乱の時代の後、宋代となった。

宋代は司法制度が非常に発達した時代である、と記されている。
宋代の司法の著しい特徴は警察・検察・裁判の三者が
この時代に既に分立していたことである。



元々、中国は国を治めるのに格別に刑法が発達していて、
拷問の道具など、今回も現物を見たりした。




 肖傑会長は、大会の間に観光した昔の宮廷で裁判官になった。


法縁碁縁 


今思うには、最初の日、通訳の方が
私に「司法に関係している人ですか」と言ったことをを思い出した。

大会の雑務に追われる肖さんが私のために
紹介してくださったのかしら?と思った。

碁縁から職場がらみの出会いがあった。