鬼の岩屋古墳 梅影悟彦 |
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九州の古墳について、予備知識として、地下式古墳のことです。 宮崎には地下式古墳があります。鹿児島県中心に地下に古墳が付いたのがあります。 これは北京に行ったとき、見学した東陵、十三陵と一緒なのか?全く別物なのか?興味があります。 元々地下式古墳は隼族の墓制と言われ、大和民族とは異なる人種であったかも知れません。 また、高千穂は神武天皇出立の地であり、畿内古墳との相違が気になります。 つまり、地下式に墳丘が付くと、隼の墓制と大和の墓制との混成造営となるのか、どうか。 そのようなことを考えながら、単身、九州の山中を駆けてきました。 |
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鬼の岩屋古墳 | 山口完様のご案内で思いも掛けず鬼の岩屋古墳を訪れた。 全国には20万基もの古墳が造られている。都道府県を50としてみると、 県当たり4000基となる。鬼の岩屋古墳は、大分県4000基の内の2基である。 鬼ノ岩屋古墳は、大分県別府市上人西町にある古墳。 1957年に国の史跡に指定されている。 |
古墳の説明は案内板を見て貰いたい。 |
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サイズの問題 | 補足的には若干の疑問点があると見た。 両古墳の墳丘サイズは径23~30metreの小円墳である。 しかしながら、内寸長10metre近い横穴石室で、 使用石を含めると、外寸は15metre位になる。つまり、 その大きさの横穴を23~30metreの小円墳に納めていることになる。 仮に、墳長100metre以上の前方後円墳の横穴に入れ替えたとしても、 何ら違和感は無く、むしろそのサイズにピッタリの大きさである。 |
疑問1 「薄葬令」との関連 |
疑問1:「薄葬令」との関連 薄葬令を最初に言い出したのは、推古天皇と言われ、 606年頃の草案とも言われている。 両古墳の造営は6世紀末とされているが、私の見た限り、 7世紀初期に入ると、 もっと精緻な造りとなるので、やはり6世紀末でよいと思う。 しかしながら、実体は580年頃前方後円墳は造られなくなるので、 薄葬令の前倒しと見てよい。 |
疑問2 : 立派な横穴 |
疑問2:立派な横穴のこと 小さな墳丘にもかかわらず立派な横穴を持っていること。 なぜか?大きな疑問である。 南に開口する横穴式石室 |
疑問3 : 「複室式横穴」 |
疑問3:「複室式横穴」について 主流は単式の横穴であり、複室の横穴は九州に多い。 ここに疑問が生じる。複室の目的は何か? なぜ、複室を好んだか? |
疑問4 「石障」 |
疑問4:「石障」は家族の追葬用スペースのことですが、 この石障のあるのも九州の特徴。九州以外では余り見かけない。 九州の人はなぜこんな形式を選んだか? |