和気藹々の「俳句の会」

兼題 「桃」

2017年3月16日(木)交友プラニングセンター

                                          高野圭介


次、4月の兼題は桜。5月は新緑。6月は蛍。7月は雲。である。





今回の兼題:桃の入選作です。

第一席(5点句) 桃咲いて女系家族に男子生る  大林悦子

ヒョッコリと男子出生!何とお目出度いことよ。


第二席(3点句) 廃屋に人住む如く桃ふふむ    大林悦子


ふふむ・・が膨らむ・・・とは。擬人の手段・・・なるほど。



第二席(3点句) 大箱に桃の日とあり父の筆    麻生芳子

それは懐かしい父の筆跡。父に逢えた・・・感無量でしょう。


互選の三句であるが、不肖高野は一席から二席までの三句ともすべて採った。
こんなことは稀である。この選句眼の良さには我ながら呻った。



佳作(高野特選)  桃八重とナニハナクトモ白の酒 (相聞歌)  横井 司


私はサラリと素直に状況を詠んだ。
しかし二句とも私が感じた感情の余韻はどこにもないようだ。人に伝わっていない。
動きが表現できていないのか、句を詠む時この辺りを克服し、
感情の滲み出て、コクのある作句は出来ないものか。

ツアー目玉桃の隧道妻と来し        圭介

採っていただいた大林評では「隧道のどこかに桃が咲いている」というものだった。
あ、伝わっていない。「素晴らしい桃のトンネルを潜って行ったのですが」
「じゃあ、桃のトンネルなら分かりよいが」ということだった。
「トンネルは隧道と書くんです。これは数年前、飯田温泉に行った時、
桃のトンネルがあってそこを潜って行きましたが」

ツアー目玉桃のトンネル妻と来し


桃一枝振りかざしまま「おじいちゃん」    圭介

孫の愛ちゃんが桃の一枝をふりふり「おじいちゃん」と呼んで走っていてきた風景だったが、
中身が無いのか。心を打つものがないからか。そうでもない。表現に動きがない。訂正。

「おじいちゃん!」ひと枝の桃駆けてくる





時間が余ってきた。
皆さまの俳句への俳句との接点のお話となった。

「俳句を始めた頃、先生に褒めて貰ったのがきっかけ」のようなのが多かった。
他愛ないが、教育とは褒めること。実地で行ったようなものだ。

私のは・・・
私は俳句の「削ぎ落とす」「棄てる」などが、碁の極意と共通したものであり、
その辺りが性に合った。そのようなことを申し上げた。


世界のハイク:HAIKUには、イングリッシュ・ハイク・中国の俳句のことなどを話した。
俳句(俳諧)は基本的に「有季定型」であるが、俳句は世界で最も短い詩。
これが外国には無いのでその国の言葉ではどう表現するか。

English Haiku

英語俳句を作る上で、日本語俳句と 同じように留意すべき点は、(1) 簡潔 性を追求すること、
(2) できるだけ季 節感を大切にすること、
(3) できるだ け5―7―5音節で書くこと、
(4) 一 句の中に「切れ(字)」(や、かな、けり) を入れること、
(5) 考えや思想や概念 よりも、物を提示する詩にすること、
(6) 説明文や散文にならないように気 を付けること、です。


Under tha table
my knee touches my grandson's
the lengthning days

Gregory Lngenegker


漢俳=中国の俳句

漢俳は「省略された短詩形」、五音、七音、五音を基本とする「音の流れ」、
そして「一句の持つ季感」という要素を満足させるような”もの”

自行车 冬天睡覚想春天

天高高飛去飛来到那国