諸行無常の「俳句の会」

兼題 「桜」  大林悦子先生指導

2017年4月20日(木)交友プラニングセンター

                                          高野圭介





次、5月は新緑・綠。6月は蛍。7月は雲。


今回の兼題:桜の入選作です。

桜なればこそ、豪華爛漫美を誇り、あるいは楚々と端正で美しい、
この極美なるものが散り、消え、朽ち、逝ってしまう。 この無常感。
(総評:高野)


第一席(7点句) 廃線の枕木朽ちて花の道  沼田敏恵

武田尾で暗がりに懐中電灯便りの道でのことだった


第二席(5点句) 西行のごとく逝きたし夕桜   沼田敏恵


ごとく・・・行きたし・・・は、句としては言い過ぎの感があるが(評)。



第三席(3点句) 散る桜托鉢僧の足もとに    麻生芳子


第三席(3点句) 山桜筏となりて消えゆけり    本 某


第三席(3点句) あでやかに散りゆくいのち花の修羅   大林悦子


佳作 大口の人恋う鯉や花ふぶき  西山 某

現場がありありと浮かんでくる楽しい句。沼田と高野選。





高野圭介の句

私はサラリとやさしく素直に状況を詠んだ。
ただ、美しいいもの、佳いものを膨らみを持たせようというだけでは心を打たない。
いいな、いいな、だけでは句にならないのである。趣き不足。

ライトアップ光る笑顔や花の鞠     圭介

須磨浦公園のライトアップ瞬間の情景である。

花の道ひと巡りして太鼓の音     圭介

妙法寺川の「さくら祭り」で、突然太鼓が始まった。



俳句の蘊蓄  沼田敏恵


散る桜 残る桜も 散る桜  良寛和尚


いつも衣の懐に手毬やおはじきを入れて、子どもらと無邪気に遊んでいたという良寛和尚。
「散る桜 残る桜も 散る桜」という禅語は、そんな良寛の辞世の句である。

今まさに命が燃え尽きようとしている時、たとえ命が長らえたところで、
それもまた散りゆく命に変わりはないと言い切る良寛の心。
桜は咲いた瞬間から、やがて散りゆく運命を背負うのである。

この句、今では禅語とされ、桜を詠んだ句としては、もう右に出るものは無い、が定説。




大林悦子先生の訓話

俳句は「やさしく言って趣きが表現されるよう」「言葉を削ぎ落す」の二点を強調された。
私はこの二点こそ、碁の極意です・・・と応えた。

・・・帰りのモノレールの中、席を隣りにして・・・

 

趣きについて


「わび」「さび」は日本人の心である。
「わび」も「さび」も日本の伝統的芸術における最高の美意識だ。

侘び   閑寂で質素な落ち着いた趣。
寂び      枯れた味わいのある趣。

わび:飾りやおごりを捨て、簡素・質素・枯淡な味わいを求める事。
さび:物静かで、古びたような趣。

その元を辿れば、茶道・俳諧に辿るようだ。

「さび」は俳人の松尾芭蕉が求めつづけたといわれている。
明快さと物寂しさを伴った洗練された感性のことだ。
そうえいば、有名な芭蕉の句の「古池や~」というのにも物寂しさと明快さが感じられる。

「わびさび」は
それが単なる質素、物静か、閑寂 etc.ではなくて、
「華やぎ」「艶やか」「潔さ」が裏打ちされていて、「イキを感じる。」




須磨の花見総ざらい

2013年4月須磨の公園総巡り


 碁吉会と須磨の桜