投了のタイミング



                                                高野圭介

投了とは
投了自体、とても難しい問題です。

河野臨のいさぎよさ。例え半目と言えども、勝てないと分かったら、投了する。
これは誰にも真似は出来ない。
例え100目負けていても、いつか、どこかで逆転のチャンスを探す。
可能性があったら、どこまでも打つ。
たとえば、九子の置き碁に、30目のコミ出しの碁。
打っても打っても、追いつけないのは初めから分かっている。

足りないからと言っては、初めから碁にならない。
どこまでも、差を縮めることに専念し、あわよくば、追いつき追い越せ・・・となるか?

いろんな意見
では以下のような意見についてはどう思われますか?

@勝負事だから打てるところがある限り、最後までガンバルのは当然のこと。
9回2ダウンからの逆転だってあるではないか。
Aなにか手はないかとマギレをもとめて打ち続けると状況が変わり手が
生ずることもある。このネバリこそ囲碁の楽しさであり、棋力向上に もつながる。
B形勢は大差、手段を尽くしても挽回不能と思えば潔く投了する。

投了の儀式
投了の儀式。

これは碁のルールに似ている。日本ルールの汚さない棋譜を残さない。
あるいは「隅の曲り4目」「取らず3目」などの、不文律。

これに対し、すべて実戦解決!という中国ルール、イン・ルールは
ダメの最後まで打つことになっている。
私は数あるルールは、
コンピューターが理解出来るルールに変わっていくと思っていますが・・・。

棋力相応
投了という行為は、棋力相応にしか出来ない素晴らしい move で、
自然に出来るようになると、棋力が充実してきた証拠でもありましょう。


最後まで
自分流



かって、私は投了を促したことがあって、大いに反省した結果、
二度とそういうことはしないと、決心しています。
たとえ、強い方でも投了しないのは、それだけの意味がある。
自分もしっかり最後まで打ち切る!そのような心構えであるべき、と思います。