高野雅彰  打ち碁・特選十局

                                    編 高野圭介



雅彰と囲碁

                                    高野圭介


雅彰は中学後半で碁が遠くへ行ってしまった。
それなりに、囲碁観もそこそこあったようだが、・・・

思うに、二つの理由がある。
一つは、碁敵がいなかった。互先の碁が無かった。
(関山利夫少年の故事が物語っている)

何が欠けていたか・・・才能はあったのに・・・
布石感覚、ねじり合いの力の養成。死活問題などなど
置き石に頼らない碁そのものが置きざれにされた・・・・

子どもの碁は時代の先端を行くものであったから、
その数年先に始めた「子ども囲碁教室」がもし、その時にあったら、
すべては解決されていた・・・それを残念に思う。 父。

二つは、芸術感覚に勝れていて、興味がそちらに向いた。
卓球も巧かったし、油絵を3年間で100枚描いた。
天は二物を与えなかったのかも知れない。

(自分に合った職業・歯科医が待っていた)

どうだろう、もう30年も経って、碁について
今ではどのくらい記憶に残っているのだろうか


 昭和51年9月5日  1976年
白 山下順源七段  vs 井目  高野雅彰(小2)

 囲碁学習1年の対局譜



 


昭和52年1月10日  1977年
白 木下敬章五段 vs 井目 高野雅彰(小2〉

格好よく打っている 



 昭和52年5月1日  1977年 
白 西村 修 vs 先 井目  高野雅彰 (小3〉

記録 松本 明

西村修さんはその名も知れた西の正横綱・下手打ちの名手である。
良くも、ここまで踏ん張っている。 凄い。



 
 昭和53年3月16日 1978年
白  高野雅彰(小4) vs 先番 吉本泰雄

256手完 黑4目勝ち


従兄弟の対戦

記録 高野雅晴


置き碁はしっかり打てているようでも、互先ともなると、自分の碁が創れない。
この不思議な現象は何だろう。思うに、適当な碁敵がいなかった


故事がある。

その昔、笠岡で、関山利一本因坊が子息の利夫少年の相棒に、小山靖夫少年を抜擢された。
両人とも、IQが高くて、資質に恵まれていたのの幸いしたが、
この二人の少年は肝胆相照らして、たちまち九段になってしまった。




石を拾うのが困難で、以下は、下の採譜をご覧下さい。


昭和53年3月15日 1978年
白 多田昭円 vs 井目 高野雅彰(小4)


多田さんは後に、
兵庫県名人となられた。


100手以下略 白2目勝ち



 昭和55年(日にち不詳) 1980年  
白 宮本直毅九段 vs 井目 高野雅彰(小6)

守拙会・直研の席上

41手まで、打ち掛け

白29に付いて、直毅先生からの詳説があった。



昭和56年7月12日  1981年  
白 高野圭介 vs  井目 高野雅彰(中1)

座敷・自宅

219手完(本譜120手以下略)白1目勝ち (w63目 B62目)



昭和56年4月4日  1981年
白 高野雅晴 vs 先 井目 高野雅彰(中1)

白の打ち方は見事 



昭和56年9月12日 1981年
白 高野圭介 vs 井目 高野雅彰(中1)

自宅



昭和58年6月5日  2013年
白 関山利通少年  vs 5子 高野雅彰(中3)

本局は「宍粟の碁」p.502 に記載された。


山崎町老人福祉センター

で、打たれた。




 
どうも、本局が打ち止めの一局となったようだ。 好漢幸あれ