一身上の弁明


美濃部達吉は、日本の法学者、憲法学者、政治家、法政大学に憲法を担当、
法政大学通信教育学部の設立者。東京帝国大学名誉教授。

天皇機関説を主張し、大正デモクラシーにおける代表的理論家として知られる。


                                         高野圭介


 1921年に枢密顧問官に任命され1932年に貴族院勅選議員となった。
35年著書『憲法撮要』『憲法精義』などが第 67帝国議会で問題とされ、
「天皇機関説」が非難されたため,貴族院で釈明演説を行った。


貴族院で釈明演説

美濃部達吉の
「一身上の弁明」


 去る2月19日の本会議におきまして、菊池男爵その他の方か
私の著書につきましてご発言がありましたにつき、
ここに一言一身上の弁明を試むるのやむを得ざるに至りました事は、
私の深く遺憾とするところであります。

 ……今会議において、再び私の著書をあげて、
明白な叛逆思想であると言われ、謀叛人であると言われました。
また学匪であると断言せられたのであります。

日本臣民にとり、
叛逆者、謀叛人と言わるるのはこの上なき侮辱であります。
学問を専攻している者にとって、
学匪と言わるることは堪え難い侮辱であると思います。

 ……いわゆる機関説と申しまするは、
国家それ自身を一つの生命あり、それ自身に目的を有する恒久的の団体、
即ち法律学上の言葉を以て申せば、一つの法人と観念いたしまして、
天皇はこれ法人たる国家の元首たる地位にありますし、

国家を代表して国家の一切の権利を総攬し給い、
天皇が憲法に従って行わせられまする行為が、
即ち国家の行為たる効力を生ずるということを言い現わすものであります。


不敬罪で告発


右翼とテロ


 しかし、達吉は不敬罪で告発された上、
憲法に関するその全著書は発禁となった。

告発は起訴猶予となったものの同年勅選議員を辞職,

翌年、天皇機関説に憤激した暴漢に撃たれ重傷を負った
(天皇機関説テロ事件 ) 。