Aロマンチック街道からベルリンへ


 ロマンチック街道を北上した。
といっても、街道ルートはいくつかあって、
一般言われるのとは違うもう一本西側の道路であった。
ビールのホップになるホッペン畑が蔓を巻きつけたように背高いのが続く。
しかし暑さのせいかあの勤勉なドイツ農夫の姿は見えない。
 ドナウ河を越え、ドイチェ・ハウスや石畳を見ながらローテンブルグに着いた。

   城壁をめぐる鈴生り青リンゴ

ローテンブルグ「赤い街」のことだが、城壁に囲まれた街で、
市役所の塔の上から見下ろすと、
家々の赤煉瓦色に統一された屋根が周囲の緑に映えて美しい。

 翌朝、古城街道を東にひた走り、
ニュールンベルグの城塞の観光も石畳を歩く。  

   いわし雲高くて低き見張り台


ベルリンの古今

飛行機で夜になってやっとベルリン入りした。
 かって13年前の1987年に東ベルリンに三泊して碁を打ったことがある。
当時ベルリンの壁は延々と不気味に立ちはだかり、
ポツダム広場やベルナウエル通りは妖気さえ漂うような雰囲気に満ちていた。
二年後にはフロイデの大合唱と共にベルリンの壁も崩壊して、
東西ドイツが統一されたのだが。
 その頃の検問所であるポイント・チャーリーでは厳しくて、
私たちのリムジンバスも、パスポートを調べられるとき、大鏡を差し入れ、
バスの底を調べたり、バスの中のトイレを開けたり、
半時間はかかったように思う。
混んでいれば二〜三時間も待たされるという噂は聞いていた。
東ドイツからの逃亡者、密入出国者等は徹底的に検挙されたであろう。

 現在ブランデンブルグ門の西300メートルほどの処に、
ロシアの第二次世界大戦の戦勝記念碑が戦車と共に建っているのが
なぜか前時代の遺物のように感じたものである。

   炎天をもってベルリンの壁余す