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Bヨーロッパ・ゴ・コングレスのハプニング


 はるばる今回のメイン・イベントである
  ヨーロッパ・ゴ・コングレスへやって来た。
ベルリンの近くのシュトラウスベルグという街で催された
この大碁会でもやはりハプニングは付き物であった。

 興奮真っ只中の気持ちを押さえ押さえて、
吉野久仁女史は述べる。
「石を打とうとして、つい対局時計(チェス・クロック)を押してしまった。
相手の少年はしばらく私の顔を見つめていて、
パス?と小声で呟いたようにも思ったが、
少年はためらいながらもう一手打たれた。
 私は碁暦が三年ばかりでまだ経験も浅く、
囲碁大会も始めてなれば、時計を使うのも始めて。
しかも言葉が通じない。何が起きたか分からないが、
堂々と二手打たれたわけでして、まあ最後まで打ちました。」と。
 駆けつけたご主人の従生氏は
「碁でパスをするというルールはありますかね」と
怪訝に浮かぬ顔である。

さて、少年はまさしくコンピューターの頭脳であった。
相手が「パス」をした。自分は打ち続けたい。
もしも自分も同様に「パス」したらお終いになる。
だから「次の手」を打っただけのこと、のようにも解釈できる。
難しい判断だったようだ。

   時差ぼけとサマータイムに碁の乱る

 碁はどちらかが勝つ。
土田正光九段の話だが、ご自分の碁会所で聞いていると、
負けた殆どの方が「勝ってしもうとる碁を負けてしまった」と嘯くのだそうだ。
また「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」とも言われる。
 ともあれこのような穿った見方は勝敗を競うのだから当然の帰結だが、
勝敗に拘らなかったら碁は成立しないのである。
そして負けて楽しい筈がない。
 
「私ね、勝っていたのに負けましてん」と
小声で呟いているのは赤田徳子女史である。
いったい何が起きたというのだろう。

 碁の専門用語に「コミ」がある。通常、碁は黒の先番で始まる。
手合割が同じと判断されたら互先の手合で、
まったく対等の条件でなければならない。
すなわち先着の効をコミでハンディキャップを付ける。
その大会によって規定が違うが、
そのハンディは普通5目半か、その1〜2目前後が設定されることが多い。
このヨーロッパ碁コングレスでは5目半と決められていた。

 たまたま赤田女史は中学生くらいの金髪のあどけない少年と対局、
白番が当った。つまりコミを5目半貰っての対局である。
 少年の応援団は両親やら友人で、次々覗きにくる。
終盤ヨセを打ち合って終局した。
作って盤面黒の4目勝ち。少年は喜色満面、躍り上がって喜んだ。
応援団とも「おお!」と手を取り合っている。

 私は「コミが…」と言いかけて止めた。本当は1目半の勝ちの筈。
しかし「これでいい。負けても良いわ。」と自分に言い聞かせたのだろう、
すっと握手の手を差出していた。

 またこの逆の話もあった。勝川浩幸氏の述懐である。
「私が大石を仕留めて、勝ったと思ったとき、
いとけないロシアの少年ががばっと盤上に伏して泣き出した。
どうしようもなく私は勝ちを宣言して立ち去った。」

   あくほどの向日葵畑昼の月