Dドレスデンからマイセンへ


 いよいよドレスデンなるザクセン朝ハインリッヒT世の街から
オットーT世以降の神聖ローマ帝国のプラハ・ウィーンを中核とした
いわゆる中欧都市をひた走ることになる。

 囲碁がヨーロッパへ導入されたのが、まずドレスデンに根付いたというのを
13年前に、この地で聞いていた。 
小谷弘春氏にこの話をしたら「本当か」と確かめられた。
言われてみると、私も聞いた話だが信憑性に欠けることは否めない。
一瞬、かのデユパール博士と鳩山一郎の電報碁のことかとも思ったが、
見当もつかない。ではどんな話なら間違いなく、と言えるか
自問すれば、実際は何も分からないに等しい。
それを歴史の本質というのだろう。

今この文も「正確か」と問われたら、
ためらわず「ノー」としか答えられないだろう。
歴史は思い込みである。いや、ひょっとしたら、捏造であるかも知れない。
でも何かを信じなければ記録にも残せない。

   マイセンの陶器工場日焼けの子

 マイセンを見学した。科学的な研究をベースにマイセン陶器が
最高の品質を保持しながら孤高を保っているのかがよく理解できた。
創立当時は、チャイナ陶器に追いつき、追い越せと
必死で創設されたものだろうが。
 始めは財源を求めて創られたと思っていたら、
趣味が結局財源になったと聞いた。
どちらが卵でどちらが鶏かはわからないが、
しまいにはどちらでもよくなっていた。

   ドイツ語の墓碑の一画驟雨くる