阿修羅像

2010年4月、興福寺の阿修羅像を見てきました。
阿修羅がまだ見ぬ孫の愛理に重なって見えてきました。

愛理ちゃんに贈ります。


                                                           
  高野圭介



 
仏像界のアイドル 
2009年、日本中を“阿修羅ブーム”に巻き込んだ
国宝 阿修羅像は仏像界のアイドルとも呼ばれる。

 興福寺の阿修羅像は3つの顔と6本の腕をもつ少年を思わせる可憐な像だが、
胴体も腕もとても細く、憂いのある敬虔な表情がとてもリアルに表現されている。

リアルなのは体や顔だけでなく巻きスカートのような着衣、
そしてなによりも身につけている装身具類も素晴らしい。

 

 インド名を
アスラという




 しかし、阿修羅は、もともと古代インドの神で、インド名をアスラという。

アスラは戦闘の神であり、激しい気性の持ち主とされ、
これまでにも様々な美術作品としても見ることができるが、興福寺の阿修羅には
その激しさはどこにも見られないし八部衆としてもこの一体だけ武装していない。

 アスラは帝釈天(インドラ)に多くの戦いを挑むが勝てず、
戦うことの苦しみを負いついに釈迦に帰依したという。

したがって
一般的な阿修羅像は怒り顔、三つの顔、6本の腕、そして赤い肌で表されるのが普通だが、
興福寺の阿修羅は造形として同様でもその表情から怒りがまったく消え、

逆に内面に向かった憂いと懺悔の表情をうかべている…といわれる。

 阿修羅のモデル
 ともかく正面の顔を正視すると私は何故か切なくなってくる…。
この切なさは正面から向かって左側の表情が下唇を噛んでいる
悔しさの表情としか思えない姿を見ると増幅されるのだ。

そしてもう一つの顔は
私にはどこか魂が離脱でもしたような放心…諦めの表情にも思える。
だから阿修羅像の前に立つと人間臭さを感じて共感を覚える…。

 この阿修羅のモデルが誰か...といった論議も結論が出ていないようだ。
少年のようで...、しかしこの像をよく見ると、
例えば、やや眉根を寄せた悲しげにも見える表情の奥に、
何か激しいものが秘められているように思えます。



 
清純な優しい顔 
この神秘な表情は、荒々しい心が仏の教化によって迷いから目ざめ、
愁眉を開きつつある顔付きだといわれています。

 まさにその通りで、
恐ろしい顔から浄化された顔へと移り行く過渡期の表情を、見事に表現しています。
一般に仏像は、男でも女でも無いそうです。
特にこの阿修羅像は、少年か少女のような清純な優しい顔になっています。

また、子供から大人になっていく途中ともいわれています。