高野圭介 写

 

橋杭の立巖

<橋杭岩にまつわるお話>


 昔々、弘法大師と天の邪鬼(あまのじゃく)が熊野地方を旅したときのことである。

 天の邪鬼は弘法大師と話をしているうちに次第に大師の偉大さに圧迫されるように感じた。
我こそは世界一の知恵者であると自負している天の邪鬼は、
何とかして弘法大師の鼻をあかしてやりたいものと考えた末、妙案が浮かんだ。

 「弘法さん、
大島はご覧の通り海中の離れ島で、天気の悪い日には串本との交通が絶え島の人は大変困るそうですが、
我々はひとつ大島と陸地との間に橋を架けてやろうじゃありませんか。」と誘いをかけた。

 「それが良い、それが良い。」と弘法大師も早速賛成した。

 「ところで二人いっぺんに仕事するのもおもしろくない。
一晩と時間を限って架けくらべをしましょう。」と天の邪鬼は言った。

いかに偉い弘法大師でも、まさか一夜で架けることはできまい。
今にきっと鼻をあかしてやることができると天の邪鬼は内心喜んでいた。

 いよいよ日が暮れて弘法大師が橋を架けることになった。
一体どうして架けるのだろうと、天の邪鬼はそっと草むらの中から窺っていると、
弘法大師は山から何万貫あるか分からない巨岩をひょいと担いできて、ひょいと海中に立てている。

2,3時間のうちに早くも橋杭はずらりと並んだ。天の邪鬼はこの様子を見て、
 「大変だ! 大変だ! この調子でいくと夜明けまでには立派な橋ができあがる。」
とびっくりして、何か邪魔する方法はないかと考えた末、
 「コケコッコー」と大声で鶏の鳴き真似をした。

すると弘法大師は、
 「おやもう夜が明けたのか?」と自分の耳を疑って聞き耳を立てていると
 「コケコッコー」 やはり鶏の鳴き声がする。
弘法大師は本当に夜が明けたのだと思ってついに仕事を中止した。

 そのときの橋杭の巨岩が今に尚残っており、列巖の起点には弘法大師の小宇を祀っている。



   

 

橋杭岩のパノラマ

   

 

 

橋杭岩の東側



橋杭岩の西側