ポニョ クラッシュ の顛末

2015年10月

高野圭介 記




 




皆さま

                                    2015年10月3日

                                      高野圭介

今回、お騒がせています。ことの顛末を申し上げます。

 添付ファイルは有馬の会について、最初の愉美ちゃんとのやり取りです。
ご覧のように、愉美ちゃんはボイコットの姿勢なのかな?と思っていました。

 それはそれで、中止しても良いかな・・・ところが、いつの間にか、一転して、
遂行することに転換していきました。順次具体化していきました。整合性に欠ける進行です。

 私はするならするでもう自分でやる気は無く、愉美ちゃんの言うままに任せました。
企画立案等今更嘴を入れることも避けました。

 その間、愚息雅永(有馬六彩の会員)と私の間に、若干の不信感が生じてきました。

 それは、愉美ちゃんが雅永を通じないで、直接部屋の増減を行っていたことから、
私に詰ってきたことに始まります。

 それは、愉美ちゃんも思いも掛けなかったことのようで、知らないことは、難しいものです。
でもそれは愉美ちゃんも迅速に対応してくれて納まり、ぼちぼち不信感も解けて問題なくなりました。

 そのとき、私は決心しました。精算だけは私がしないと、
親子の間に禍根を残すようなことはあってはならないと。
 もう一つ、私は愉美ちゃんも含めてポニョの皆さまの指導者です。
愉美ちゃんが私には報告する義務はあっても、
まさか些細なことでも私に命令はしないだろうなと思っていました。

 この二つが一挙に問題を生じさせる可能性は予期していました。
これも仕方が無いという予測です。

 この辺りの事情は誰も分からないことと思います。

 振り返ってみると、最初から私の腹に据えかねる出発で、
そのとき中止しておれば問題なかったのかな、今思いますが、
碁吉会25年の間に、神戸大震災のとき、中止に追い込まれただけで、
この25年間揉めたようなことはかってありません。

 愉美ちゃんは一際優れた人です。力もあります。
ただ、誰しも完璧という人は居ません。愉美ちゃんは天を畏れず、
自分の力いっぱい生きてきて、成らざるはない自信に溢れています。
とても素晴らしいことです。これからも大いに羽ばたいて下さい。

 ただ、どういう訳か、発想が自由奔放で素晴らしいだけに、折に触れ、
立場の逆転などお構いなしになっているようです。

やらないと言ったり、やると言ったり、そのときそのとき自由奔放という生きざまが、
何の躊躇もなく表面化しただけのことです。

 メールで見ると、大勢の方々に配信されています。
 私はこういう問題も無ければ、このまま没にしてこうと思っていましたが、そうもいかない様子なので
、配信先の方々に、充分ではありませんが、私の思いの一端をお知らせします。

 ポニョの皆さま、皆さまとの五子局大手合いを思いついて、今回有馬で全員と打ちました。
皆さま相当な碁で感心しています。
 愉美ちゃんの碁だけは、SGFを後で送ると聞いたままです。すっかり忘れましたので、送って下さい。

 大阪が遠くなりましても、また、どこかで打てるでしょう。
 将碁友の会の碁は続けます。続けたい人は打って下さい。
止めたい人は将碁に言って対局から除去して下さい。ご自由です。
                                               以上

 追伸、皆さまの思いをそれぞれ聞かせて下さい。よろしくお願いします。





皆さま

                                  2015年10月5日夕

                                 高野圭介

皆さまのご意見が出揃いました。そういう話なんだなと思います。

私は何も言いたくありませんが、このまま無音では面白くないので、一.二だけ申し上げます。
でも、反論・論争のための主張ではないので、私の発言はこれで終わりです。

1.2015年2月23日に愉美ちゃんから有馬ツアーのボイコット気味のメールが来ましてから8ヶ月。
長かったですがようやく終了しました。 cf:添付文章

私の前向きな感じが萎えてくるのと逆比例して、池本ワールドが勢いづいて広がってきました。
私は最終まで会計が誰なのか、何がどうなっているのかほとんど知らない進行でした。

2.部屋の確保状況も分からず、どれをキャンセルしたかも分からなかったのですが、
雅永は状況が分からないまま私の杜撰さに不信感を抱いたのですが、
流石に愉美ちゃんは迅速に対応してくれてことは巧く運べました。
この迅速な対応については、本人の愉美ちゃんだけが知っています。
客観的な見方とはチト違っているようです。

3.でもこのツンボ桟敷に置かれていても精算だけは何がどうあろうと私がすると決めました。

話がこじれるでしょうが、説明は経営者と労組の団体交渉みたいな様相を呈してきた場合
、短時間で済む話では無い。一から始めるようなことは私には対応しきる自信がありません。
その昔、社長が労組に吊し上げられていた時代がありました。
多勢に無勢の自分を想像したとき、敢えて、断固断ち斬ると決めていました。
碁吉会25年間、私も未経験の荒技です。もし、この荒技が以前にあったら
、碁吉会はすでにありませんでしょう。
皆さまの非難があっても、いまでもこれで良かったと思っています。

4.「愉美ちゃんがよくやった」と異口同音です。確かによくやりました。

 初め、ボイコットから一転やる気になってやってみて、余程面白くなってきたのでしょう。
能力のある人です。何でも出来る人です。でもやったさせええ、と言うものではありません。
いい惜しむらくは物事の順番が分からなくなってきたことでしょう。

 私は2015年9月10日にエッセイ「傲岸不遜」を書いて、自分を慰めていました。
人に「お前は不遜だぞ」なんて言っていません。どう思われようと勝手です。

 私も人間です。私のやったことは一部非難の的かも知れません。
それはそれで当然の帰結なので甘んじて受けます。
 皆さまの貴重なご意見は「存在するものは合理的である」そのもので、
二律背反の世界ですからそれはそれで一片の真理でしょう。

 私には私の信条があります。碁は楽しく打つべきもの。
特にポニョに於いては碁が強くなるための集まりです。高野はオールマイティです。
誰が去ってもポニョは消えてなくなりません。高野が去ったらもうゼロでしょう。これだけでハッキリしています。
一つのグループが出来たら、信条が一致しない者は直ちに去るべきものということです。ポニョにおいておやです。

 今から将碁のGP:Jのリーグ戦が始まります。
私の信条、行動にいささかでも不平不満のある方は早々と去って下さい。
当月10月からでも結構です。将碁さんにはすでに伝えてありますので、問題ありません。
 将来に亘ってご一緒に楽しく碁を囲みたいという方はどなたでも喜んでご一緒しましょう。

 メールの行き先に、私の知らない方のお名前が散見出来ます。
私とは何の関係もないその方々にもお騒がせしましたことを深くお詫び申し上げます。


 

武田 康のこと

                  20151010
                 高野圭介

 武田康の問題はちょうど5年前、碁吉会創立20周年のときのこと、
たまたま数人が会場のどこか一隅で屯していた。
武田康、加田美保子、高野雅永、塩沢孝子、他二,三名である。

塩沢孝子さんがトイレに席を外したとき、突然、武田が口走った。
「塩沢孝子はトラブルメーカーなんです。」と。

 居ないはずの孝子さんにそれが聞こえた。
「武田さん、あんた今何を言いましたか?、
そのトラブルメーカーって、それ、どういうこと?」

 武田はたちまち地べたに、頭を擦りつけ、
「ごめんなさい」と何分間も平身低頭のていたらくと聞いた。

それから、どうなったか、数日が経った。
 突然、東京の孝子さんから私:高野に電話があった。
「高野さん、あなたは何を武田さんに有ること無いこと吹き込みましたか?」
「私は、何かあったとは聞いてはいますが、どうだったのですか?」

「どうって、白らばくれたら困る。あなたが武田さんに吹き込まなくて、
誰が吹き込むの。ええ加減にしなさい。私はずいぶんお世話になりましたが、
碁吉会とはこれで縁を切ります。」


私は唖然としたが、その後、東京のペア碁大会で逢ったけれども
見向きもして貰えないので、
 箱根大会に行けば、時間もあるから
、話が出来る・・と箱根で逢うために参加した。
しかしそれも、もう全然受け付けて貰えず、取りつく島も無かった。

 碁縁は切れた。ダメとあきらめた。

 塩沢孝子さんとは2005年、中山典之先生とチロルへ行ったとき、
中田良知さんと一緒に知り合った。三人大の仲良しになった。

   http://gokichikai.jp/tirolindex.html

 そのときのレポートに孝子さんが「(高野と)離れへんでぇ」と書いている
ぐらいだったし、その後、私は宮垣さんと二人、孝子さんの別荘にお招きになり、
お世話になったり、赤田徳子さんと三人ご一緒して八丈島へ行ったりしたこともある。

  http://gokichikai.jp/8jyonogo..html

 碁吉会の2008年、伊豆伊東大会を孝子さんに主宰していただいたりして、
これ以上無い素晴らしい交流が続いていた。

http://gokichikai.jp/itoh-taikai0811report.html

孝子さんはホントに世話好きで、世話をされている10名ばかりの常連も
プッツリ切れた。私は、残念ながら、会が潰れるって、
こんなことがあるんだなぁと独り思っていた。

その中でも、仕方ないことは仕方ないと、すべて無の上に立って、
相変わらず武田とは接していました。

ギリシャのクルージングにも一緒に行ったし、中国の碁会も連れて行った。
盟友と心得てのことであった。

 今度、記念すべき碁吉会創立25周年囲碁大会に返事が無いので、
私が電話して、初めて聞いたのが、

「碁吉会は予定していなかったもので、欠席する」とシャーシャーと言ってのけた。
それでも、再度「予定をしてはいかが?」とお誘いをしたが「行きません」だった。

 こういった前科の背景の中での言動は本人も熟知しているはず。
とんでもない無頓着で理不尽な人というのが分かりました。