点 点 滴 滴
(いろいろいろいろ)

QINGDAO(青島)TOUR



                                        2008年4月26日 宮垣 實


 中国・青島行きは30回目の高野先生、
中国語に堪能な杉田さん、
海外旅行は数知れない程多い
武知ハルミさんと私。
これ以上に安心な
組み合わせはないメンバーでした。

残念なのは、
オイルの値上がりを見越して
サーチャージ料13,000円旅費と別に
取られたことは後味を悪くした。



 4月24日9時50分小雨そぼ降る関空を後に
JAL625便で中国山東省の青島へ行きました。
雨雲を抜けて青空になったものの
下界は何も見えません。

松江から日本海に出て青島まで線を引けば
韓国を横切ります。
お天気は西から回復しますから
一時間経った今は晴天域に入っており
韓国内陸部の地上の姿は
高度1万3000mからでもよく分かる。


2時間10分の飛行で青島空港に到着し
日本時間は12時だったが
現地は午前11時と1時間の時差のために
とても早く中国に来た錯覚にとらわれました。

一行27名中4名のご婦人は
3泊4日と一日多い旅行で、我々の泊まった
黄海ホテルとは違う所に泊まったためか
丘の上の集合写真に写らなかった。


青島現地の日本語ぺらぺらの
女性がガイドとなった。


青島ビールは中国一。
あらゆるところで、PRに懸命であった。

中国按摩について
若いピチピチギャルが懸命にしてくれる。
全身・1時間で\4,000.であった。
本人の手取り内訳は、
全寮制だから、諸雑費を引いて、
\300.が支給される。
年中平均、月¥30,000.の手取り。
一日の拘束時間は11:00am.~1:00.の、
14時間という感じだった。


青島の緯度は36°で、
北京の北緯40°よりも低く
神戸の35°より1℃高い。

南の上海と北の北京との
中間地点にあって
季候は温暖なところ。

中国では、結婚の前に、
花嫁姿など、事前に写真を撮って、
式当日、それを記念に配布する
しきたりとなっているそうな。



初日は青島市内観光で、小魚山公園、
八大関など、ノスタリジックなあちこち。


 昔、ドイツが
中国政府から借り上げて、
香港と同じような
ドイツ租借地としていた。

しかし、ドイツが
第一次世界大戦に負けたために
日本が代わって租借し、
15年間統治した



グループの中に
青島で子供の時を過ごしたと
おっしゃる姉妹がいた。

日本人である自分達の通った
旧日本第2小学校に行けるとあって、
大変喜んでおられた。

現地に行くと
海軍の鎮守府みたいになっていて
入ることは勿論、写真も写してはならぬと
言われ、とても残念がっておられた。



 老子の教えは

全て自然本位で生きなさい。
無理して尽力努力は無駄なこと。

人間万事塞翁が馬。

人生すべからく
成るようにしか成らぬ。
ケセラセラと言う。



2日目は青島の北60㎞にある、
道教の聖地「嶗山」に行った。

嶗山太清宮は老子、莊子を祭っているお寺。
寺のことは道観と言い、僧侶は導士という。

その導士に杉田さんが一枚写真を頼み、
とても恥ずかしそうにして写ってくれた。

長い黒髪を饅頭のように丸めて結っている
頭、青い僧服真っ赤な腰紐とても
エキゾチックな姿であった。





お祈りの蓮の花に、ローソクの火が・・・


2泊3日の食事はすべて中華料理だった。
当たり前のことではあったが、昔とちがって
味付けが日本人の好みに合っていたと思う。

朝はバイキング方式で
夜は円卓を囲んでの
中華料理でおおむね満足出来た。


添乗員のYanさんが
『あんまりモウケない』と
言ってるとおりらしい。



自然のまま、あるがままと言っても、
加齢の流れに従う自分を見ると、

 自分の身体の中で一番堅くて
丈夫だと信じていた歯が
加齢とともにがたがたになり、

ぐにゃぐにゃの弱そうな舌が
何時までも達者でうごいている。

もって瞑すべし。



 帰宅したら
70m離れた家に居る6才の孫娘が
おじいちゃんの顔が見たいと言って
泊まりに来てくれたのでとても嬉しかった。

アメーバー型の真っ赤な
オモチャのおみやげ

気に入って、よく遊んでくれた。