数詞 123・・10 のこと

                                2022年2月
                  高野圭介 記




1975年9月13日、私は初めて単身アメリカに渡った。
サンフランシスコから北へ、ゴールデンブリッジを渡ると、
富士山のようなトロイデ状のタマルマイヤス山があって、
その中腹にロイド・サクストン博士が住んでいる。

私はそこに半月の投宿・今のホームスティで、
アメリカ生活を満喫した。その記録を
THE REDWOOD MEMORIES IN PARADISE の
小冊子に残している。その時の話である。
                           kei




ある日、とある喫茶店でクリス・ピッシェルと碁を打った。
「いち、に、さん」と数を数えると、その若者が
「日本語では?」と聞くので、
「ひぃ、ふぅ、みぃが訓読みで」と言った。

一二三・・・十

彼は「いち、にぃ、さんの数字は音読みではなくて
中国語の数字だ」と言ってきかない。

私はアメリカ人の耳は面白いな?と思っていた。






その後、中国での話である。

親友の唐騰さんに、この話をした。
彼はその昔大阪府立大学に留学していたので、
正確に話が出来る。

123・・の日本語:いち、に、さんと
中国語のいぃ、あーる、さんは
余り変わらない。と言う。

4.10

特に、4と10がおもしろい。
4は「しぃ」と「すぅ」と違うようだが、
どちらも口を横に開くと言う共通点がある。

10は「じゅぅ」と「すぃ」と違うようだが、
どちらも口を尖らして発音する。

他の数字も外人が聞けば、
発声にそれほどの変わりは無い。とも。
私は「ほほぅ」と納得した。



 

後日、司馬遼太郎「この国の形」に記載された
一文を見て、驚いた。 その抜粋。

朝鮮半島に百済の聖王(523~554)が仏教の輸入に熱心だった。

当時中国では三国史の
諸葛亮孔明、関羽、張羽の活躍した六朝時代で、
長江の中下流には呉越同舟で有名な呉の国があった。

その呉の国の文化が百済を通じて
日本へ漏れ続けたといって良い。
その当時の言葉を「呉音」と言った。

呉が滅んで、随唐となったが、日本から渡った
遣隋使や遣唐使は言葉の違いに戸惑いしたと言う。

呉音

その呉音に、呉服屋の呉があり、
元日など暦のことや、その他、多くの呉音が残っているという。
その一つが「いち、に、さん」と数えること。

今の「いぃ、あーる、さん」とは全く同じでは無いが、
まずは同質のもので、
外人の耳には同じと聞こえるのかも知れない。