歴代兵庫県知事の話

第19回ミニミニ講座 いろり談議


吉岡 易 先生

とき  2017年2月9日13:00~
ところ 交友プラニングセンター

                                       高野圭介

歴史としては手の届くような直近のことだが、明治と言うだけで遙か昔に感じていたことに不思議を感じた。

冒頭に、講話の時間は一時間半が適切と思うが、二時間と定められているので
退屈しないようお願いしたいというような発言がもっともと思いながら始まった。



兵庫県のこと
兵庫県の成り立ちは明治の廃藩置県に始まるのだが、
経済力豊かで富裕地域と目される摂津・丹波・播磨東部から始まって、
10年余りも掛かって最後は本来は徳島と思われた淡路島を併合して
現在の兵庫県の姿になった。



ここに富裕の意味は、神社の多いことが象徴だ。
日本で一位は新潟県で、兵庫は二位になる。
行政区域については平成の大合併があったが、
行政区域だけでも生きものの感さえあった。

私は高野:コウノ=コウノトリ=Storkと、別名を使っているが、
兵庫県の県鳥がコウノトリ=Storkと聞いて、奇すしき縁と思った。

兵庫県歴代知事
 
兵庫県歴代知事



兵庫県歴代知事は今の井戸敏三知事は51代目。
私の故郷山崎町の隣町・新宮町の出身で、身近に感じている。

最初は官選であったが、
終戦後34代岸田幸雄知事より公選となった。
つまり行政の手が国家公務員より民間に移されたわけである。

官選と言っても多士済々で、その内
初代伊藤博文と第4代陸奥宗光について詳細に語りたい。

 伊藤博文の初物


伊藤博文は初物に強かった。

初代兵庫県知事に始まって、初代工部卿(通産建設大臣)・
初代総理大臣・公候伯子男の貴族制度を創設した。
初代貴族議院議長・大日本帝国憲法発布を始動し、立憲政治を確立。
立憲政友会初代総裁・初代韓国総監・・・これだけの実績は他の追従を許さない。

注:囲碁の世界では藤沢秀行が初物食いだった。 

 世渡り上手の博文
博文は百姓・足軽・知事・大臣・総理大臣と登り詰めたが、まるで
豊臣秀吉・田中角栄そのまま。その原動力は「世渡り上手」と評されたが、
人柄、頭脳明晰があってのこと。 

最後はハルピンで安重根に暗殺されたが、
後に明治維新への功績の故にか、千円札の肖像に使われた。 



陸奥宗光と 坂本龍馬
陸奥宗光は仙台伊達家の分家だった。坂本竜馬と一緒に海援隊に入った。
当時の状況はこのように伝えられている。

「陸奥は小生意気で口が悪く、何事も理詰めで相手を言い負かす性格は、
周囲との衝突も多かったようですが、エラそうにのたまうぶん、
覚えも早く、何をやらせてもテキパキとこなす若者だったのだとか・・・


そんな彼の才能に惚れ込んだのが、同じ海軍操練所で知り合った坂本龍馬。
いつしか宗光も、自分を認めてくれる龍馬を慕うようになり、
慶応三年(1867年)には龍馬の海援隊(亀山社中)にも加わります。」と。

カミソリ大臣陸奥宗光


やがて岩倉具視の推挙で外国事務局御用掛となった。
その翌年、第4代兵庫県知事として赴任してきた。

西南戦争の時、政府転覆罪で投獄され、5年後恩赦され、陽の当たる舞台に立った。

陸奥は頭脳明晰で、カミソリ大臣と呼ばれ、「世界と平等に」のスローガンの元、
最も大きな仕事は治外法権の分野での足跡である。つまり
外務大臣の時、小村寿太郎を抜擢、江戸幕府以来の諸外国
(英米独仏伊など15ヶ国)との不平等条約をすべて改訂したことにある。

参勤交代は活きている
最後に、伊藤博文は周防(山口県)出身。陸奥宗光は紀州出身だが、
住居は東京だった。この傾向は国政を預かる殆どの政治家に共通していて、
江戸に駐在した昔の参勤交代そのままと見て良い。

万巻の書も良いが、このようなコンパクトに分かる講話は楽しかった。
次は戦後公選となった兵庫県知事、岸田幸雄・坂本勝・金井元彦の
お話を楽しみとしましょう。