世界アマ・チャンピオン・坂井秀至 1999年・第21回世界アマチュア囲碁選手権戦大分大会
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関西棋道会 | 大阪・東洋ホテルで、関西棋道会が催されていた。 石井邦生九段、橋本昌二九段の隔月のご指導で行われた。 大阪財界の方達の楽しい毎月の例会碁会であった。 藤岡和夫支配人が肝煎りでそのお世話をされていた。 私は棋友・首藤浩巳(首藤舜棋士の叔父君)の紹介で、会員となって、 阪本清士らとの交友を得て、今日まで続いている。 |
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大分東洋ホテル | 折しも、藤岡支配人が大分東洋ホテル支配人として転勤され、 たまたま平成11年(1999年)6月JAL杯世界アマ囲碁選手権大分大会が 大分東洋ホテルで開催されることとなり、日本代表・坂井秀至の出場となった。 私は勇躍坂井応援のために、単身大分へ出掛けて、 世界アマ大会中、藤岡様にずいぶんお世話になった。 |
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トップアマ ↓ ドクター ↓ トッププロ |
結果は 決勝戦で、兪在星(韓国)に敗れて、坂井秀至は2位となった。 因みに、 坂井は1997年・1999年・2000年 JAL杯世界アマチュア囲碁選手権の日本代表となっている。 アマのトップを極めた坂井は医学を志したが、 医者の仕事に就くのは本意ではないと、 「医者はいつでも出来るけど、囲碁は今じゃないと出来ないから」 の名言を残して、 関西棋院にトビツケ五段のプロ入りとなったのである。 今、トッププロへのいよいよの正念場 |
2000年の世界アマチャンピオン 高野圭介 坂井秀至の相関図 |
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坂井は翌年2000年に仙台で、朴虎吉に勝って、世界一の栄冠を得た。 大会はスイスほうしきなので、決勝戦というものはない。 熱戦の第4回戦から6回戦の3局を記載する。 2位は朴 虎吉(朝鮮民主主義人民共和国)
3位はホン・マルグンセム(韓国)
4位は周 振宇(中国)
5位はS・B・ン(シンガポール)
6位はG・グローネン(オランダ)
7位はD・ショフル(ドイツ)
8位はI・フロレスク(ルーマニア)
(2000年囲碁年鑑より・・・提供は植木さと子女史・・) |
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第4回戦 △周 振宇 (中国) vs 坂井秀至 白番3目半勝ち |
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第5回戦 △坂井秀至 vs ホン・ マルグンセム (韓国) 先番9目半勝ち |
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第6回戦 △坂井秀至 vs 朴 虎吉 (朝鮮民主主義 人民共和国) 先番9目半勝ち |