放浪の俳人・種田山頭火 静の俳人・尾崎放哉 高野圭介 |
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動の 山頭火 |
三河湾を知多半島を経由して、篠島・神島・佐久島・日名賀島へ行った。 佐久間島で、種田山頭火の句碑・二句を見付けた。 句碑は古びていて、判読気味だ。 調べると、旅の俳人・山頭火の句碑は全国で百基はあるらしい。 |
自由律 (不定形) |
普通、定型句といっても、 一般の俳句では、字余りは許されても、字足らずは取られない。 足らずも余るも、山頭火には必要なものは要るし、不要なものは要らない。 なるほど、山頭火は昭和の芭蕉・自由律(不定形)の俳人として突出している。 |
句碑 |
島嶋の人が乗り人が一人春爛漫 山頭火 波の上はゆき違う挨拶投げかけかわしつつ 山頭火 |
色紙 | 山頭火の 自筆(か、どうか不明)の色紙も残っている。 (篠島観光ホテル大角所蔵) 歩きつゝけて荒波に足を洗はせてまた 山頭火 |
うしろすがたのしぐれてゆくか 山頭火 分け入っても分け入っても青い山 分け入れば水音 笠にとんぼをとまらせてあるく まつすぐな道でさみしい どうしようもないわたしが歩いてゐる あるけばかつこういそげばかつこう また見ることもない山が遠ざかる |
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山頭火吟詠 | しぐるるや死なないでゐる わかれきてつくつくぼうし 酔うてこほろぎと寝てゐたよ すッぱだかへとんぼとまらうとするか 病めば梅ぼしのあかさ なるほど信濃の月が出てゐる 酔うてこほろぎと寝ていたよ 鴉啼いてわたしも一人 霧島は霧にかくれて赤とんぼ 生死の中の雪ふりしきる |
静の 尾崎放哉 |
季語を含めない自由律俳句の代表的俳人として 種田山頭火と並び称される尾崎放哉に言及しておこう。 旅を続けて句を詠んだ動の山頭火に対し、放哉の作風は静のなかに 無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った。 |
放哉吟詠 | 咳をしても一人 尾崎放哉 墓のうらに廻る 足のうら洗えば白くなる 肉がやせてくる太い骨である いれものがない両手でうける 考えごとをしている田螺が歩いている こんなよい月を一人で見て寝る 一人の道が暮れて来た 春の山のうしろから烟が出だした(辞世) |