メキシコ訪問記

                            2015年10月15日

                        関口 清




今回のメキシコ訪問は私にとっては特別に懐かしい、ノスタルジアの旅であった。

その理由は、過去に仕事で2度にわたり(197073, 198086)、合計11年ほど
メキシコシティーに家族と共に住み、メキシコの良さも悪さも知り尽くして、
それでもなお愛する、近親感を持つ国であり続けたからである。



リチャード クインテロ(Ricardo Quintero 氏のこと

 クインテロ氏
最初に昔からの囲碁の友人、Ricardo Quintero 氏について語っておきたい。

1970年代、メキシコ在住当時は趣味の囲碁を仕事仲間と打つ傍ら、
メキシコ人にも教えようと日墨会館にて囲碁を打ち、
当時はまだ数の少ないメキシコ人と親交を深めた。

その一人が、
Ricardo Quintero氏であった。
当時は彼はまだ若いUNAM(メキシコ自治大学)の学生であったが、
その後成長し、アマチュア囲碁世界選手権のメキシコ代表として
日本にも来るようになった。


菊池康郎先生
来日の折には彼とも再会し、親交を深めあった。
彼は緑星学園の菊池康郎先生のところにも転がり込んで
1っか月ほど住み込みで世話になり囲碁勉強もした。



今回のメキシコ訪問で恵光寺の一室に菊池康郎先生直筆の心得を
額に入れて飾ってあるのを拝見し、
囲碁普及の一環の精神面の大切さを忘れないようにと心がけていることを
uintero氏が語ってくれたことに改めて感心した。
氏は現在メキシコポリテクニコ大学(日本でいえば、東京工業大学に相当する)
の教授として教鞭に努めているが、囲碁普及にも努力している。


 日産工場
どちらかというと陽気なメキシコ人に比べて、氏は非常に思慮深い、
まじめで慎重な性格であり、頼りになる存在である。

あとで話すことになるが、若いメキシコ人が日本よりは韓国の囲碁に
なびいているのに対し、
Quintero氏は日本をより重く見ている。

今回は氏に個人的にもお世話になった。



メンバーの一人窪田さんと共に彼の運転手付きの車でクエルナバカ市を訪問し
、懐かしい緑豊かなホテルでのゆったりとした昼食、
その他日産工場を含むいくつかの思い出の場所を訪問した。
昔からの囲碁仲間のありがたさをしみじみと感じさせてくれた
Quintero氏との再会であった。


メキシコの囲碁事情



囲碁事情
ここでメキシコの囲碁事情について語っておきたい。

今回の訪問で囲碁関係の主要な人物と話してあらかたの様子を理解した。

現在のメキシコの囲碁はメキシコシティー、メキシコ州在住の人による
集まりが大半のようで、第2の都市グアダラハラ、第3の都市モンテレイ等
では囲碁を打つ人がいるかどうかは今回メキシコシティーで
出会った人々は知らないとしている。

わずかにケレタロ市、グワナファート市、等にはほんの少し碁を打つ人は
いるといっていたが、関係はほとんど無いと言っていた。

したがって囲碁大会はメキシコシティーにて開かれるのみで、
それ以外の広いメキシコでどうなっているのかは分からずじまいであった。
インターネット普及の今日メキシコシティー以外でも
碁打ちはいると思われるが、結局情報無し。


 囲碁普及活動

(1)大学関係


メキシコシティーでの囲碁普及活動は大別して以下の4つに分けられる。



1)Emil Garcia Bustamanteを中心とするUNAM(メキシコ自治大学)関係者、
学生等の若者中心のグループ
・・・・大学関係

彼らは週2回程度Emilを中心に集まり囲碁を打つ。
メキシコの囲碁活動の中心的存在。

Emilとは一度ホテルで囲碁を打ち、その後彼と夕食を共にしていろいろと
語り合ったが、過去に何度か韓国に囲碁修行に行き、
日本よりは韓国の方が囲碁は強く、勉強する価値は高いと評価している。
又メキシコの世界的な囲碁の実力の位置づけはまだまだ低く、
韓国からプロ棋士をもっと呼びたいとしていた。

どうも日本よりは韓国びいきのところあり。
先述した
Quintero氏とはこれからは若者の時代だと張り合っているところがある。


2)  恵光寺

(3)Pipiolo学校


2)  恵光寺でのQuintero氏の指導による囲碁普及活動。
毎週土曜集まりQuintero 氏が指導して囲碁を打つグループ

(3)Pipiolo学校での子供達への囲碁授業活動今回の訪問で皆様体験した通り。
結構基本を理解して、しっかり打つ少年少女もいた。


Siddhatha Avila Delgado 氏の指導。


 
4)  芸術の家


 実戦交流


4)  芸術の家での囲碁の集まり

今回偶然に味村さん、菊本さんとPablo Albertoの案内で訪れた、Bucareli 69
に存在する個人の家、このオーナーの
Jeronimo Garcia氏が囲碁も打つ。
ここには毎週木曜日
メキシコでNo1の
Abraham Florencia(5D)が来て囲碁指導をする。

この場所は面白いところで、各種芸術家のたまり場的存在で、
各種絵画の展示、楽器、
音楽家の集まり等が行われている。
オーナーの
Jeronimo氏の棋力は4-5K程度か。

メキシコの棋士の実力はトップクラスで欧州コングレスの3Dクラスと思われる。

No.1といわれるAbraham Florencia には見損じもありコミを出せずに負けたが、
No.2といわれるEmil Garcia には勝利した。
その他欧州コングレス段位で2段クラスの人物が2-3人いる。
皆年も若くこれから強くなっていくと思われる。


懐かしいメキシコのこと




日産自動車
ここで囲碁は離れて観光・個人的な自由行動につき簡単にレポートする。

自由時間を利用し、一泊で北の町アグアスカリエンテス市を訪れ
日産自動車の工場見学をした。1980年半ばから土地購入から始まり、
初期の工場立ち上げに関与した思い出の地でもある。




現在は2つの大きな組立工場となり、北米、中南米向けの輸出基地として
大躍進を遂げている姿には感無量であった。

さらに別の第3の土地でメルセーデスベンツとの
合弁工場の立ち上げが準備されている。
メキシコ国内販売もシェアー25%と非常に高くNo.1の地位を保っている。
アグアスカリエンテスでは昔の仕事仲間でリタイアー後もそこに
住み着いた友人とも再会し、短いながらも懐かしい時間を過ごした。


違う風土
メキシコ市は周囲を山に囲まれた盆地であり、
昔から排気ガスの問題が深刻であった。

今回訪れた印象は以前よりずいぶんと改善されている感じであった。
また以前に比べて宿泊したソナロサ地区の緑、インスルヘンテス通りの
南部地区のかつて私が住んでいた地区等の緑は一段と濃くなり
美しい街並みとなっていた。

新しい奇抜なデザインの多いビル群には日本では見られない
独特のセンスを感じさせてくれた。



土地柄事情
こんな町並みとは別に治安問題は深刻のようで、その根源は貧困と
麻薬問題にあるようである。若者の間にも麻薬が広がる傾向とのことで、
これが金銭問題から治安問題にと広がっている。

今回夕食を共にしたあるメキシコ人夫妻の奥さんは旧市街のセンターの方には
安全面からめったに来ない、こんばんは皆さんと夕食を取るので
久しぶりにやってきたとの話をしていた。

今回の訪墨でグループメンバー一同事故もなく無事旅が
終えることが出来たことは何よりであった。

楽しい今回の旅が出来たことに関し、我々を受け入れてくれた
メキシコ人の皆様そして関係者の方々に深く感謝したい。

                          関口 清