安重根のこと

                                                           土佐保子


武知さん、甲斐さんと私、3人で南山を歩いて行きました。
中腹に、安重根の碑が建っています。

韓国の歴史に詳しい土佐保子さんに解説を願いましょう。

 
高野圭介


     

南山中腹に建つ 国民的大英雄・安重根の碑


国民的
大英雄

安重根

乙末事変
安重根とは、伊藤博文を暗殺した人物です。
韓国では国民的大英雄ですね。

安重根は「伊藤博文の罪状十五ヶ条」を旅順の取調室で述べています。

冒頭に「閔妃暗殺事件」を挙げています。
日本人が聡明な朝鮮王妃を景福宮 乾清殿で殺害した事件です。
韓国では閔妃事件を「乙末事変」と言います。


千葉十七
安重根は旅順の獄中に閉じこめられました。

そのときの世話をしていた、憲兵上等兵の千葉十七は
安重根の人柄にどんどん惹かれていきます。

最初は伊藤博文を殺害した安重根を
許せなかった千葉十七でした。

死刑執行の朝、
安重根はお世話になった千葉に
揮毫した書を渡します。

その書に千葉十七は亡くなるまで
毎日手を合わせておられました。

私はこの実話に胸が熱くなりました。


           

千 寿鎬(SUHO)と高校生・DAUN嬢にご案内を頂いた 昌徳宮


安重根


旅順の
獄中で
書いた

決死の
伊藤弾劾

その
冒頭に

閔妃
暗殺
事件

正室・閔妃
朝鮮王朝26代高宗皇帝の正室が閔妃です。

朝鮮では、現代の韓国でも同じですが、
男も女も父親の姓を名乗り女が結婚しても
父親の姓のままで生涯変更されることはありません。

たとえば
韓国新大統領の李明博夫人は金夫人と紹介されています。

大院君
閔妃は閔致禄の一人娘です。

高宗の父である大院君
現在では大院君といえば彼のことを言う。

息子、高宗の王妃に求める女性の条件に、政治に関与しないこと。
親族のなかに野心を抱く有力者がいないことであった。

しかし、
王妃となる女性がどんな家の女性でも
構わないというわけにはいかなかった。
王室をはじめ、一般国民が納得する基本的条件が必要であった。

高宗の妃
そんなとき、
大院君夫人が同族である閔致禄の娘を推薦した。

「王妃として恥ずかしくない容姿容貌をもち、
行儀作法などのしつけも充分身につけており、
なにより学問では
どんな大家の娘と比べてもひけを取らないでしょう」

名門の娘だが親も兄弟もない。
まさに大院君の希望通りの条件だった。

大院君夫人は閔致禄の娘を邸に呼んで大院君と会わせた。
大院君ほど人を見抜く眼を持っている人物はいない。

<聡明は結構だが、この仔猫は雌虎になるのではないか>
と首をかしげる。

しかし、
もっとも重視した家族関係でこれ以上の
候補者がなかったので高宗の妃と決まった。

高宗数え年15歳、閔妃数え年16歳。
昌徳宮の仁政殿で盛大な式典が挙行された。
王妃とはいえ、人形のような飾り物だった。
夫である高宗は美女ぞろいの宮女たちと
たわむれる楽しさを知っており、
閔妃には無関心だった。


夫を観察する
この頃の閔妃は異常なほど読書に夢中になる。
「春秋」「左伝」である。どちらも女性の教養書とは程遠い。
閔妃は独特の鋭いカンを働かせて夫を観察する。

国王、高宗は常に絶対の権力者である父、大院君の顔色をうかがい、
気の弱さは生まれつきのものであろう。

決断力もなく、なにより話相手、相談相手がいない。
いつの日が王の寵愛を受けるとき、
相談相手にもならなければいけない。

その時が来るまでに、
どのような話題にもしっかりした意見を
述べるようにしなければいけない。
遊びの対象にすぎない側室達に
まともな話相手がつとまるわけがない
そう思えば側室達を冷然と見下すことができたのであろう。



閔妃の
筋書き


閔妃が王妃となって6年目。ついに男児を出産する。
しかしこの子は2、3日後に死亡する。

この頃の閔妃は「王の心を捉えた」という自信からか、
王の寵愛を受けた女達を残酷な方法で一掃している。

この後、
閔妃は王子を生む。後の第27代純宗である。
この後、
大院君と閔妃との熾烈な権力争いが行われます。

高宗の後ろには必ず閔妃が控えており、
高宗の言葉は閔妃の筋書きであるのはいつものことだった。




日本は
危機感


ロシア寄りの閔妃に日本は危機感を抱きます。

朝鮮問題が日本にとって非常に重要であったこのころ、
閔妃が「問題の王妃」として日本人高官達に話題になっていた。

新任公使 三浦梧楼は、高宗に挨拶をしに王宮へと出向く。

三浦は側近に
「王妃は非常に才能の豊かな方であった。私が国王と謁見中、
後ろの御簾をそっと開いては、王になにか助言をしておられた」

その後、三浦は
「どうせ一度はキツネ狩りをせねばならぬ」と、
側近に本心をもらした。キツネとは閔妃のことである。


閔妃事件
1895年10月7日から8日早朝にかけて多数の日本人が
大院君をかつぎだし
クーデターにみせかけるために
景福宮敷地内にある乾清殿にいた閔妃を惨殺します。


高宗、純宗も近くにいたが大院君との約束があり
高宗、純宗には手出しができません。

その後、
広島地裁で朝鮮政府は閔妃殺害の下手人として
3人の朝鮮人を逮捕して全員に絞首刑の判決を下した。

その半月後、日本人の裁判があったが全員が無罪になっている。
韓国の多くの人達は「閔妃事件」を日本国家の犯罪と信じている。



歴史
認識の差


日韓の誤解
日本で何人の人が安重根のことや、
閔妃事件を知っているでしょうか。
韓国では小学校の子供ですら知っています。

歴史を教える韓国と、教えない日本、
その歴史認識の差が日韓の誤解を招いているのでしょうか。


韓国の李明博新大統領は過去の日本に対して
「謝罪と反省は求めない」と明言しておられます。

そして日韓関係は今後、
未来志向的に進めなければならないとおっしゃっておられます。

大阪生まれの李明博新大統領は
スケールの大きい人だなと思ったのは私だけでしょうか。