「孫子の兵法」で打つ



                                        高野圭介


孫子の

 「謀攻」

 
「彼を知り己を知れば百戦殆ふからず」で有名な孫子の兵法は
世界の武将の指南書となり、
日本では「迂直の計」から武田信玄の風林火山を生じ、
遠くはナポレオンが座右の書としたと言われている。

 孫子によれば、戦争は目的でなく手段である。したがって、
戦わずに勝つのが最高の勝ち方である。
それが「謀攻」に他ならない。

「謀攻」は単に小手先の術策ではなく、
法則性に則った無理のない勝ち方をいう。
また、戦わずして勝つのが最高で、
「百戦百勝は善の善なるものにあらず」とも。

 小敵の堅  
 さて、「兵力に応じた戦い方」を「謀攻の部」にこう言っている。

「故用兵の法 十則囲之 五則攻之 倍則分之 敵則能戦之
少則能逃之 不若則能避之 故小敵之堅 大敵之擒也」

 すなわち、
「故に用兵の法、十(倍)なれば之を囲み、五(倍)なれば之を攻め、
倍すれば二つに分かち(攻め)、敵すれば(互角なら)之とよく戦い、
少なければよく之から逃げる。しかざればよく之を避け、
故に小敵の堅は大敵の檎なり。」

 強気一点ばり  
 さらに詳説すれば、
「戦争に際しては次の原則を守らねばならない。

則ち十倍の兵力があるときは敵軍を包囲する。
五倍の兵力があるときはこちらから攻めまくる。
二倍の兵力があれば我が兵を二分して挟み撃ちにして戦い、
互角の兵力なれば全力で戦う。
しからざれば(劣った兵力であれば)勝算がないときは戦わずに、
之を逃れて退却する。

法則上で言うと、この原則を無視して、自分の弱小にもかかわらず
強気一点ばりで戦うと、むざむざ敵の餌食になるだけだ。」と。


石の命の

取り合い 

 
 いま、この兵力を石数と置き換えてみよう。
「囲碁の戦い方も謀攻にあり」と言っても過言でないように思う。

 これは唐の王積薪「囲碁十訣」の「不得貪勝 入界宣緩 攻彼顧我 棄子争
先 捨小就大  逢危須棄  慎勿軽速 動須相応 彼強自保 勢孤取和」の内、

石の命の取り合いである戦いの大半のノウハウを
具体的に物語っているではないか。


 「石数」が兵力




 これを単純化して、更に「石数」と置き換えれば分かり易く
これを守れば打ち易い筈だ。

多くとも石が凝り固まったら烏合の衆となり「過ぎたるは及ばず」
と悪化するが、一般に石が多ければ強い筈だ。


「棄つべし」が基本

 
したがって、一局の碁の傾注すべき点はこの一点!

@自分の弱い石を作らない。
A相手の弱い石を探し、そのところに着点を探す。
B故に自分の弱いところから、相手の弱いところへ向かうのが最強最大なのだ。
C少数は堅とせず、軽やかに舞い、大所高所に立ち、「棄つべし」が基本である。


お互いの

「弱いところ」に

集約 

 
 なお、プロないし高段の芸はあらゆる手だてを講じて戦う。
序盤中盤収束まで、いろんな角度からあれこれ考えて、息を抜く間がない。

しかし、普通のアマなら、この「弱い石を巡っての攻防」であり、
「弱いところ、のただ一点」の「謀攻」だけで、並以上に戦えるものと信じている。



 少なくとも私の碁は孫子の兵法に従って、「弱いところ」に集約して
必要且つ充分と着点を求めて打っている。