123の数詞のこと

須磨ヘラクレスクラブでの話の中から  2016年8月17日

                      高野圭介

初のアメリカ
1975年9月13日、私は初めて単身アメリカに渡った。

 サンフランシスコから北へ、ゴールデンブリッジを渡ると、
富士山のようなトロイデ状のタマルマイヤス山があって、
その中腹にロイド・サクストン博士が住んでいる。

 私はそこに半月の投宿・今のホームスティで、アメリカ生活を満喫した。
その記録をTHE REDWOOD MEMORIES IN PARADISE の小冊子に残している。
その時の話である。

アメリカ人の耳
 ある日、とある喫茶店でクリス・ピッシェルと碁を打った。
「いち、に、さん」と数を数えると、その若者が「日本語では?」と聞くので、
「ひぃ、ふぅ、みぃが訓読みで」と言った。

 彼は「いち、にぃ、さんの数字は音読みではなくて
中国語の数字だ」と言ってきかない。

 私はアメリカ人の耳は面白いな?と思っていた。

 中国語と日本語
 その後、中国での話である。

 親友の唐騰にこの話をした。
彼はその昔大阪府立大学に留学していたので、正確に話が出来る。

 123・・の日本語:いち、に、さんと中国語のいぃ、あーる、さんは余り変わらない。と言う。
 特に、4と10がおもしろい。4は「しぃ」と「すぅ」と違うようだが、
どちらも口を横に開くと言う共通点がある。
10は「じゅぅ」と「すぃ」と違うようだが、どちらも口を尖らして発音する。

 他の数字も外人が聞けば、発声にそれほどの変わりは無い。とも。

 私は「ほほぅ」と納得した。

司馬遼太郎説
後日、司馬遼太郎「この国の形」に記載された一文を見て、驚いた、その抜粋。

 朝鮮半島に百済の聖王(523~554)が仏教の輸入に熱心だった。
当時中国では三国史の諸葛亮孔明、関羽、張羽の活躍した六朝時代で、
長江の中下流には呉越同舟で有名な呉の国があった。

 その呉の国の文化が百済を通じて日本へ漏れ続けたといって良い。
その当時の言葉を「呉音」と言った。

 呉が滅んで、随唐となったが、
日本から渡った遣隋使や遣唐使は言葉の違いに戸惑いしたと言う。

呉音が残っている 
 その呉音に、呉服屋の呉があり、元日など暦のことや、
その他、多くの呉音が残っているという。

その一つが「いち、に、さん」と数えること。
今の「いぃ、あーる、さん」とは全く同じでは無いが、
まずは同質のもので、外人の耳には同じと聞こえるのかも知れない。