体験的異質文化 数詞に関する部分のレポート 高野圭介
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123の数詞のこと 須磨ヘラクレスクラブでの話の中から 高野圭介 |
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半月の投宿 | 1975年9月13日、私は初めて単身アメリカに渡った。 サンフランシスコから北へ、ゴールデンブリッジを渡ると、 富士山のようなトロイデ状のタマルマイヤス山があって、 その中腹にロイド・サクストン博士が住んでいる。 私はそこに半月の投宿・今のホームスティで、アメリカ生活を満喫した。 その記録をTHE REDWOOD MEMORIES IN PARADISE の 小冊子に残している。その時の話である。 |
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日本の数え方 | ある日、とある喫茶店でクリス・ピッシェルと碁を打った。 「いち、に、さん」と数を数えると、その若者が「日本語では?」と聞くので、 「ひぃ、ふぅ、みぃが訓読みで」と言った。 彼は「いち、にぃ、さんの数字は音読みではなくて 中国語の数字だ」と言ってきかない。 私はアメリカ人の耳は面白いな?と思っていた。 |
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中国の発音 | その後、中国での話である。 親友の唐騰にこの話をした。 彼はその昔大阪府立大学に留学していたので、正確に話が出来る。 123・・の日本語:いち、に、さんと中国語のいぃ、あーる、さんは 余り変わらない。と言う。 特に、4と10がおもしろい。4は「しぃ」と「すぅ」と違うようだが、 どちらも口を横に開くと言う共通点がある。 10は「じゅぅ」と「すぃ」と違うようだが、どちらも口を尖らして発音する。 他の数字も外人が聞けば、発声にそれほどの変わりは無い。とも。 私は「ほほぅ」と納得した。 |
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司馬遼太郎説 | 後日、司馬遼太郎「この国の形」に記載された一文を見て、驚いた、その抜粋。 朝鮮半島に百済の聖王(523~554)が仏教の輸入に熱心だった。 当時中国では三国史の諸葛亮孔明、関羽、張羽の活躍した六朝時代で、 長江の中下流には呉越同舟で有名な呉の国があった。 その呉の国の文化が百済を通じて日本へ漏れ続けたといって良い。 その当時の言葉を「呉音」と言った。 呉が滅んで、随唐となったが、 日本から渡った遣隋使や遣唐使は言葉の違いに戸惑いしたと言う。 |
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多くの呉音 | その呉音に、呉服屋の呉があり、元日など暦のことや その他、多くの呉音が日本に残されているという。 その一つが「いち、にい、さん」と数えること。それが中国の「いぃ、あーる、さん」 と数えることは全く同じでは無いが、まずは同質のもので、 外人の耳には同じと聞こえるのかも知れない・・と。 |