楽水会創立と一丸となった地元

創立1930年~戦前まで

                                      西光博司 記

 


嘉左ヱ門の一代伝記が綴られています。
題して「手向草」A5版

以上の抜粋ではすべてを語るすべも無く、垣間見たに過ぎないが、
ほんの一端から推測頂くしかありません。なにとぞ諒とされたい。

 
嘉左ヱ門生前、常に諸々の行動に寝食を共にし、行遊を共にしたと
自他共に許した親友、藤沢淳は限りなき追慕の情を寄せて上梓したのが
この「手向草」であります。


天雲くらき野江の里に於いて認む

藤沢 淳


 「知者楽水」
 須磨海岸で初めて公開乗艇会を催したのは、
私の祖父である西光嘉左衛門らが設立した「須磨楽水会」でした。
「須磨楽水会」は1930(昭和5)年8 月10 日に創立しました。

名称の由来は祖父が座右の銘としていた故事「知者楽水」からです。



旧制第一神戸中端艇部(現・神戸高ボート部)のOB だった祖父は
「人間の剛健不屈の精神鍛錬は端艇趣味の普及徹底にあり」
という想いから、「須磨楽水会」の設備をすべて自費で用意しました。

西光造船所
 具体的には、自宅に設けた西光造船所でヨット5 艇、
モーターボート2 艇、シングルスカルやフィックス艇など
競技用ボート20艇など計33 艇をすべて建造し、
須磨楽水会の所有艇として会員へ開放していたのです。

   

 拠点の倉庫
拠点は若宮町六軒浜( 現・須磨ヨットハーバー)に設けた艇庫
(約66 平方m)で、1939(昭和14)年には国道2 号線天神太鼓橋
の高架下に第2 艇庫(約370 平方m)を増設しました。


関西選手権
競漕大会




 会員たちは住友家須磨別邸(現・須磨海浜公園)前の沿岸で
乗艇練習を重ね、めきめき腕を上げました。

その頃、
滋賀県瀬田川などの関西選手権競漕大会で活躍していたことが
(公社)日本ボート協会の資料に記録されています。


言うまでも無く、親友藤沢 淳が嘉左ヱ門(氏)についての活躍ぶりを記したものです。

cf::手向草p.10からの転載である。