碁吉会の将碁十番戦

                                     榎本 滋 記

昨今、将碁友の会で、グループ毎にリーグ戦が始まりました。
それを原則として、11人で組織して、10局ずつ打つから、
「十番戦」と、名付けられています。
碁吉会は現在8名の構成で、リーグ戦を開始しています。

さて、
高野先生と、今月と先月の指導碁につき自戦記を書きました。
特に今月は何の弾みか、信じられない結果となり、
初めての白星に喜びの表現が見つけられません。

お陰で、どんどん碁が面白くなってきます。
ありがとうございました。




碁とは何ものぞ!


かって、故小山靖男九段が喝破されました。

「碁とは、どのようなものであるか」
と言うことをおおまかに感じ取ることが大事で、
その都度、弾けたように脱皮して、別世界に昇華していく。

反面、そのような天啓に浴さないと、いつまでも同じようなことの羅列になって、
それをマンネリというのだろうか、一向に変わらないままである。
それが何年も何十年も続くのが普通だ。

さすが、榎本さんである。

早々と
虚空から何かを掴み取られていた。
見るも鮮やか!昆虫の脱皮が鮮やかだった。

いよいよ楽しみなお方である。


以下、二譜をご覧下さい。

                               高野圭介記








良い感触が掴めた敗戦

                            榎本 滋 自戦記

(1)2005212日対局


白13までは、橋本昌二九段 vs 高野先生戦と同じ進行とか。
大過なく来ているようです。




昌二先生と高野先生の碁(リンクの碁)
とくと、見せていただきました。

私のとは深みが全く違うのでしょうが、
自分の碁2局と合わせ3局ならべますと、あの形に関しては
流れと急所を感じ取れた気がしました。

ところで、昌二先生と私は遠縁にあたります。
私の家はもともと明石市魚住町にありまして、
祖父と昌二先生のおじい様が兄弟だったとか聞いています。

昌二先生のお父様の国三郎さんが、私の家で
父と碁を打っているお姿をわずかに記憶しています。


小さい頃です。それで私は碁を覚えました。
中学生の時にはザル碁を打っていたのですが、
その後全くうたず、40年を無為にすごしてしまいました。

ですから、高野先生が昌二先生との碁を引用してくださった時は
何か急に懐かしい思いがよぎり、本当に嬉しく思いました。

ありがとうございました。

                               榎本 滋 記



本譜の感触です

30は左辺に回る1手でした。
白51〜75までの折衝では、決め所を外しました。
その後左辺に向かった発想は悪くないと思っているのですが、

白105のツケコシはうっかりしていました。
107とキラれて非常に苦しくなりました。

113を見て投了しましたが、
もう少し打ってコウ争いをして教えて頂いても良かったかもしれません。

いつものように負けましたが、良い感触をつかみました。









勝てそうな!感触で、薔薇色の世界に酔う

                                 榎本 滋 自戦記

(2)2005312日対局


212日の対局と滑り出しは同じですが、

黒12から変化して、黒16はまず左辺に打ちました。
17に対して18以下50までうまく打てたと感じました。

左下の
3三ヘの対応はまずかったでしたが、
88まで根拠を確保できましたので、
左辺は
98-100と切り違えました。
112までオサメることができました。
あとは、上辺の白を攻めて中央に地が付いてきて、
もしかして、勝てるかもと感じた時
薔薇色の世界がぱーと、広がっていきました。


高野反省記

白29.31のデギリは時期早々とか、失着だが、
白129が気のない手で、敗着。
124の下にトビツケル1手であった。

でも、黒の豪腕をかいくぐるのが精一杯で、
それは単なる愚痴に過ぎない。
黒の堂々たる打ちっぷりを
賞賛するのみである。