フィニッシュからの基礎づくり

                                         高野圭介

 一局の碁が終わった。検討が始まる。
最初から置き直しだ。たいしたもので、第一着から狂わずに再現されてゆく。
そして「これしかない!」という図に結論づけられて、皆が納得してゆく。
それがアマチュア高段者の芸だ。

プロはちょっと違う。
最終局面から、決定的場面まで、即座に石がはがされ、たちまちの内にいくつかの図が作られて、
黙々と崩したり作ったり、延々と続く。
やがて、更に、前の岐路になった部分まで、さっと石が剥がされて、
同様のことが、機械的ではないが機械的に繰り返される。

 アマとプロは局後の検討の仕方がまるっきり違うのである。




終わりから始めるのはいろいろある。
 たとえば、私は書物を紐解くとき、「はしがき」から読むが、「あとがき」も最初に読む。

 1983年に『宍粟の碁』を上梓した。520頁の大作だったが、
印刷屋さんに原稿を渡して雑談をしているとき、
「あとがき」を書いていないのに気がついた。
その事務所で書かされるハメと相成った。
 一頁分の「あとがき」の中に書いた、即席の句が忘れられない。

     八朔や朱を入れ染めし稿措けり   圭介

 書いている最中は何か試験されているみたいで、面映ゆい感じもあったが、
後で読み返してみると、お礼ばかりに終始しているようだが、
言い尽くしていたように思えて、満足している。




2000年8月にゴルフを再開した。以降5年間、毎朝クラブの素振りで
所定の目標は達成できたように思う。


 昨今、テニスを再開した。
 気がついたら、もう5ヶ月も経っている。
5年も経ったら、お稽古から脱却しなければならないが、その時、
自分がどのようなテニスになっているか?大いに疑問である。

 今、テニスの目標はただ一つ

 年齢からして、もう巧い下手を問う段階ではない。
それなりに基礎がしっかり身に付いたかを問おうと思っている。
「ボールを打った直後の、フィニッシュが崩れないで
大きなテニスの打ち方」に徹しているか」だ。

 つまり、一つのストロークのフィニッシュから遡って、フットワークから
腕、腰の納得できる動きであれば、満足したい、というテニスを目指している。

 一つ一つの基礎さえしっかり出来てくれば、
量が質を規定するが如く、コートを飛び回る姿が
自分なりに「華麗な」姿に転換してゆくはずだからである。