シャラポアのサービス 高野圭介 終戦直後、学生生活を送った私は碁に軸足を置いていたから、 好きだったテニスはええ加減で過ぎ去っていた。 震災後10年間、愛車 Soar を捨て、歩きに徹してきたから、 太極拳・ゴルフ・山歩きがメインのスポーツとなっていたが、 肩の筋肉が落ち、腕力がないので、テニスは出来なくなっているのを知った。 ゴルフは腕力よりもリズムでやれるので、 ゴルフが私にとって今後のスポーツとなるだろうと、思っていた。 2004年11月の末、近くの離宮公園からの帰りに、ラケットを持ち歩く女性に出会った。 聞けば、ヴィスカヤ・テニスという倶楽部が近くにあるという。 ボールの音を頼りに訪れたら、コートが何面かある。 ちょっとやってみないかと、誘われて、ラケットを握ってみた。 コーチ指導のセオリーは、 何と、今まで思っていたテニスとは全く違う中身だった。 しかもゴルフのそれと酷似している。 それから3ヶ月。 いつの間にかラケットを購入し、服装も靴も整ってきた。 間もなく2005年2月も末を迎える。 50年間使わなかった筋肉に活を与えようというのだから、 人知れず悪戦苦闘したのは身体づくりであった。 幸い、歩きに徹していた足がものを言った。 今でこそ、春のT&G (テニスと碁)を待つ身体になってきたが、 最もたいへんだったのは肩だった。 上から振り下ろす動きがたいへんで、 へなちょこの肩にはどうしても付加が掛かる。 イタイイタイ病の元、付加の動きには湿布を貼ったり、 冷やしたり、氷で冷やしたまま寝ると、体温が下がり、 風邪を引きやすくなってくることも分かった。 でも、テニス対応のためには耐えなければならない。 筋断裂とか靱帯損傷とか、いったん損傷したらお終いというので、 整形外科の医者と、整体の接骨医の指示を仰ぎながら、 痛む身体は3日経てば治まってくるのが分かった。 痛みと付加運動の繰り返しの合間合間に、 ダンベルとラケットの素振りを繰り返しながら、 しぶとく耐えてきた。 3ヶ月経った今ではやっと苦しみは遠退き、 そこそこの動きにも順応出来るようになってきて、 ラケット片手のまま、ラジオ体操が出来るようになった。
三木正さんが「テニスは年齢制限があるのと違いますか?」と聞かれるので、 医者に聞けば「まあ、70歳過ぎてテニスを始めるというのは余り聞かないが、 この調子だと、もっとやっていいでしょう。」と、お墨付きをいただいた。 コーチは「高野さんは90歳までやってやで」とお世辞半分に言う。 この4月20日に、碁吉会 T&G (テニスと碁)が発足する。 昨今、その日に備えて、シャラポアのサービスを真似している。 71歳をひっくり返して、17歳に若返って変身だ。 なるほど、巧くなれば、ぐーんと腰が入り、スピードが増しそう。 先日、杉田明子さんに「副産物として、ずんぐりむっくりの体型が、 すんなりすなすなと、変わってくるかも」と、冗談交じりを言ったら、 「出来ないことを言うものじゃないよ、 Seventeen と Seventy とをごっちゃにするなんて、 どうかしてる・・・」 |