人それぞれの花

                                         高野圭介

生きざまを思う
毎朝何も変わらない。
昨日とも一昨日ともちっとも変わらないのに
十年も経てば何かすっかり変わっている。

目をつむって通り過ぎた人を想うとき、人それぞれの生きざまを思う。
須磨あすなろ会の人たちは何故かそれなりに皆、
太極拳をするとき、誰もが堂々としている。

套路が出てこない
不思議なことがある。

いつも南面に広がる海を見てのびのびと演技をするのだが、
体育館など場所を換えると、いつもと勝手が違って、
「太陽とうち寄せる波の音がないから方向が戸惑い、
套路が出てこない」と真面目に言う人がいる。

偏差値がない
須磨の太極拳は、いつの間にか他と競う太極拳でなく、
一人ひとりの太極拳になっている。ここには偏差値がない。
あるのはその人の絶対評価だけ。いうなれば
「今日は気分がいいから気持ちよく出来る」ただそれだけである。

自分と競う
これはやはり、佐藤靖子先生の
「人の最も大切なものは個性」という思想を根底に
「人、それぞれに花あり」という、人に上下を付けない先生の生きざまから
醸し出されているものの薫習とでもいうのだろうか。

須磨では毎朝明るくて自由な空気が漂う。めいめいが励むとき、
ただ誰もが「自分と競う」がベースになっているのである。

ただ咲いて
ただ散って


花には人間のような駆け引きが ないからいい
ただ咲いて ただ散って ゆくからいい
ただに なれない 人間のわたし

                      みつを