「邱継紅先生」の思い出

                                             高野圭介


北京の5月は花という花が一斉に咲き充ちる。1995年1月の阪神大震災の年、その花の北京へ足を運んだ。
 親友・唐騰さんが何くれと面倒見て頂いて、何香濤先生の北京師範大学の寮に身を寄せた。





 その6月、あの広い中国大陸を邱継紅プロ棋士と二人で
一ヶ月の諸国漫遊に出かけたものだ。

道中、成都から昆明へ、そして大理へとやってきた。
実はその足で、歩いて黄山にも登ったりしたし、
西湖に舟を浮かべて、水ダックにビールを楽しんだりもした。

 当時、
日本では結城聡毅先生が新人王戦で準決勝に進出していた。

邱先生も同様に、中国で同様の大会で、準決勝に進んでいて、
新進気鋭なんだな、と思っていました。
左は、当時の先生の編み出した隅の構えの図です。




それが最初で、2回目は2000年12月、関西棋院から倉橋正行九段・家田隆二プロの囲碁ツアーで昆明に来た。
その足で大理・麗江・桂林を訪れたのである。そのとき昆明で邱継紅プロ棋士に再会して感動した記憶がある。

 
そして、今回は3回目。唐騰さんから電話連絡を取ったところ、
所用のため、残念ながら昆明を留守にするから会えないということだった。

 大理囲碁協会張会長の話では、邱継紅先生とは張会長も親しい仲で、
本名士教授杯に邱継紅には招待状を送ったところ、所用のため来られなかったそうだ。
どうも、プロ棋戦があったようとも聞いた。

邱継紅先生は今では昆明の大先生ということも話されている。 先生の弥栄を祈るや切。

 


邱継紅棋士の思い出 高野圭介  「碁スケッチ」p.13 より