天元の歴史

天元は碁のロマンである。

日本では、平安から鎌倉にかけて、「中の聖目」と呼ばれていたらしい。
碁盤の中央を「天元」と名付けたのは安井算哲、後の渋川春海であった。
算哲はのちに碁聖と呼ばれる本因坊道策に初手天元打ちで破れて
以降、天元打ちは禁忌となった。

昭和初期には久保松勝喜代の天元研究があって、
やがて、盤上の権威に反発する「新布石」は木谷・呉清源らで檜舞台に立った。




天元の夢・ロマンの世界

1998年(平成10年)以降、
山下天元の「天元戦の天元」は戦闘布石研究の竿灯に立ち、
ここに「天元の夢」はまた蘇ってきた。


「天元への夢」 相場一宏著  はしがきより抜粋


天元打ちの新手法



                                          高野圭介


1950年

東西対抗戦
(日棋vs 関棋)

白2はノータイムで
打たれた。

高野圭介が
宇太郎先生から
直接聞いた話は
「黒3は気合いが悪い!
当然、5辺りから
挟むところ」


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橋本宇太郎

vs

先 山部俊郎


黒は101から
中央を纏めたが、

ヨセで損をしている。

黒7目勝ち


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小野田千代太郎

vs

先 久保松勝喜代


 1934年

初のラジオ碁。

久保松の実験碁

白の6.10に注目

黒8目勝ち



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 呉 清源

vs

久保松勝喜代


棋界権威の象徴
秀哉に若者・呉が
挑戦した。


秀哉は
新布石に対し、
批判的であった。


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 本因坊秀哉

 vs

先 呉 清源


1929年

大手合い席上



 黒44のとき、
天元が働いた。


 


 瀬越憲作

 vs

2子 村島義勝

黒中押し勝ち


1670年

お城碁


白9目勝ち

 

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本因坊道策

vs

先 安井算哲




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