イスラムとキリストの相克(T) 高野圭介 メブラーナ「七つの教え」 イスラム教・メブラーナ師 1.恵みと助けは流れのように与えよ。 2.情けと哀れみは太陽のように与えよ。 3.他人の欠点は夜のように隠せ。 4.怒りと苛立ちは死のようにあれ。 5.謙遜と謙虚さは土のようにあれ。 6.寛容は海のようにあれ。 7.あるがままに見せるか、 見かけのように振舞え。 この教えに接し、身震いするほど大いに感動した。 2004年6月、トルコの遺跡を巡り歩いた。 古代トルコ各所の遺跡には アララト山のノアの方舟・トロイの木馬は余りにも有名。 メソポタミア・エジプト・ギリシャと同様の遺跡の山である。 詳細文献は至る所に記述されている。 トルコでの キリストのこと 聖マリア イエスが生涯を閉じるとき、母・マリアの身柄をヨハネに託したとされる。 やがて、 エーゲ海地域のエフェソス(Ephesos)に 聖母マリアが聖ヨハネと共に移住し、余生を送ったといわれ、 1867年にローマ法王がここでミサを行って「神の母である」という称号を贈った。 現在では聖ヨハネと共にあがめられて、キリストの聖地の一つとなった。 全世界のキリスト教の巡礼の地として、深い祈りを捧げにやってくるのである。 因みに、我が碁友のクリスチャン・須賀悦子女史も行きたい聖地の一つの由。 なぜ エフェソス(Efesos)の聖地か? @19世紀になって、あるドイツの修道女・アンナ・カテリーナが天啓を受けて パナユル山のこのマリアの住居となった家の模様を記録に残した。 後に、イズミールの司教がこの記録を基に訪ねたところ、確認したという。 家の地下から湧き出す聖なる泉は万病の治療に効果があると信じられている。 19世紀末に実施された発掘調査ではこの聖なる泉の源から、 基盤と石炭の破片が見つかり、”カーボン-14”による試験を 実施したところ、これらが1世紀に遡ることが確認された。 地元のキリスト教信者たちが伝統的な マリアの祝日を祝っていることなどから、 聖マリアとの関係が強く裏付けられているという。 A聖ヨハネはキリスト12使徒の1人で、 若き30歳のキリストの洗礼者であったことで知られている。 彼はエフェソスの街を包み込んでいた強烈なアルテミス信仰を覆すため、 ヨハネは何度となくこの地を訪れた。 エフェソスのアヤソルクの丘の上に居を構えたヨハネは この地で福音書を記し、生涯を閉じた。 亡くなった後、聖人となり、教会が建てられた。 B近くのピオン山の斜面には、教会が建っている。 伝説ではキリスト教迫害の時代に、7人の若い伝道者たちが投獄され、 岩窟牢の中で、150年以上も眠り続けたという。 目覚めた彼らを生態復活の兆しと信じ、伝道者たちの死後、 その墓の上に教会を建てたという。 イスラムのこと 一方では中部アナトリア地区のコンヤ(konya)にはイスラム教の一つの派、 神秘主義の踊る宗教の元祖・メビラーナは実父もひざまずいたという 偉大なイスラムの伝道師だった。 はじめて接した冒頭の「七つの教え」は 宗派を越えたなんという素晴らしい教訓であろうか。 この二 カ 所がエーゲ海地区とアナトリア地区とに別れているとは言え、 そんなに遠くない・・・1,000qばかりか・・・と思ったとき、 キリストとイスラムの相克がきっとある。 「何だろう?」と首を傾げた。 |