アフリカの文物に出会って ・・・チュニジア・ツアー・・・ 碁吉会 高野圭介 |
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心許ない旅立ち | 瓢箪から駒のようなツアーだったので、 ずいぶん心配して出かけましたのも嘘のようです。 まず、日本ではカルタゴ以外ほとんど知られていないチュヌジアで、 雨期(10月から3月)とはいえベストシーズンとは聞いたが、 やはり昨年のシシリー島のような雨ばっかりかもと、心許ない旅立ちでした。 関空からパリまで1万q。 私たちの飛行機を夜のとばりが追っかけてきたが、 帳は遂に追いつけず、太陽との面白いチェイサーだった。 |
カイルアン世界遺跡 日本へのはがき切手 |
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世界遺産の数々 | それがどうでしょう。 好天に恵まれ猛暑、強雨も無く、 最初のカイルアン世界遺跡が予想以上に素晴らしく、 トルコ、ポンペイ、あるいはモロッコにも凌ぐとも劣らない鮮やかさで、 世界の遺跡が眼前に姿を見せたのです。 後の、観光資源、世界遺産の数々にどれほどの期待を掛けたことでしょう。 そして、その期待に違わず、ツアー続行中を堪能させてくれました。 |
碁漬けの毎日 | 今回は総勢36名で、一般の方19名と碁吉会の17名の混合ツアーでしたが、 幸い病人も出ず、事故もなく、和気藹々のツアーは続きました。 飛行機の長の道中はもちろんのこと、 毎晩、橋口美香先生の指導碁に堪能しながらの囲碁ツアーでしたから、 碁漬けと言えば中身の濃い碁漬けの毎日でした。 |
逆三角形のビル | チェニスの市内で、逆三角形のビルを見つけました。 今は住民は立ち退いているらしいが、どうしてこんな危ないビルが建てられたか、 謎で、チェニス・アネハも居るのかな?と、首を傾げました。 |
チェニス・アネハ | チェニス・アネハ お土産のアフリカ雑貨 |
「ジャパン・ナカタ!」 | 私たちは行くところ「ジャパン・ナカタ!」と声を掛けられ、 いよいよ親日ぶりを肌で感じたものです。 私はサッカーチームのグッズを探しました。2002年にワールドカップで、 日本がチュニジアチ−ムとの対戦をしたのも記憶に新しいことと思います。 その現在のチュニジアのスポーツ新聞や 大黒柱・ドス・サントス(背番号11)のシャツも入手出来ました。 |
ドス・サントス (背番号11) |
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分かったようで、 分からない |
至る所でナツメヤシ(棗椰子)とオリーブ(オイル)を見たり食したりしました。 変わっていたのは、スースの浜辺で、キュキュと鳴る泣き砂の上を歩いたり、 海の毬藻ともいうべき変わった丸い藻のボールに出くわしたのです。 これは海藻が砂の上を転がって出来たものとの、 説明を現地のコンダクター・ロピさんから聞いたのですが、 分かったようで、分からないと言うのが本当です。 |
オリーブ油 |
ナツメヤシ 海の毬藻 |
* COUSCOUS * クスクス |
食べ物も現地へ足を踏み入れて、初めて分かる、 アフリカ独特の「クスクス」という美味しい食物 *クスクスって? クスクスはチュニジアをはじめとする北アフリカの国々から、 古くはアラブ人が漁法を伝えたといわれるイタリア・シシリア島、地中海沿岸、中東諸国など 広範囲にわたって毎日の食卓で愛されています。旧宗主国のフランスには18-19世紀に伝えられ、 現在では街角のデリカテッセンでもかならず見かける人気のメニューとなっています。 |
ともあれ、全員元気で帰って参りました。 嬉しさいっぱいのご報告が出来ますのを この上もない歓びと感じています。 |
チュニジアとイスラム文化 中東に生まれたイスラムがエジプト経由で、七世紀の頃、西進のとき、 最大の拠点となったのがカイラワンだった。 つまり、チュニジア発進で、 アルジェリア・モロッコ・そして、スペインまで、広がっていったのである。 十五世紀から十六世紀にかけて、イスラムはスペインのアンダルシアから撤退した。 そのとき、アルハンブラ宮殿の様式がここ、カイラワン・モスクに融合・取り入れられた。 世界の四聖地は メッカ・ メディナ・ イェルサレム・ カイラワン となっている。 |
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チュニジアがシシリー島の目と鼻の先にあって、 地中海の要衝であることを確認したい。 |
イスラム教がサウジアラビアから北へ、 そして西へと布教された。そのマップである。 |
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