「クレージー碁」

ハープ・ダウティが、彼のオリジナルゲーム・・・ヘックスとスパイラル碁を引っ提げて・・・

                                                      中田良知


 




ハープ・ダウティと「ヘックスとスパイラル碁」



                                            高野圭介

ハープ・ダウティがUS碁コングレスに参加していたことを知った。
それも、彼のオリジナルゲーム・・・ヘックスとスパイラル碁を引っ提げて・・・

 1980年代のこと。
 私はツアーに入って、アメリカ西海岸とハワイへ行った。
サンフランシスコで、夕食後、私は独りブッシュ・ストリートにある桑港棋院へタクシーを飛ばした。
 真っ暗の道端に降ろされ、途方に暮れていると、一つのドアが開いた。
そこに飛んでいって、桑港棋院?と聞くと、今、帰るところという。
 中へ導かれ、お会いした人三人。今思うと、マーク、デビッド、ハープの碁友だった。
 
注:マークはIGS(日本のパンダネットの創立者)
三人と打った。「日本から,ホンマの7段が来た」と言う。
「ここにサインを」と、署名を求められ、ペンを取った。
「ノー、ノー」と言って、墨筆を出してきた。
見ると
呉清源、岩本薫のご両人のサインがある。その続きに私がサインをした。

 これが、アメリカ碁会との繋がりの最初であった。

 彼らの主力は BART(Bay Area Rapid Transit)で結ばれている対岸のオークランドにある
カリフォルニア大学・コンピューター部の面々(誰が生徒か教授かは分からない)で、
アメリカ囲碁界の草分け的存在であったろう。
 これを機に、何回となく、サンフランシスコを訪ね、
その近隣の町に住むまだうら若きThomas Hsiangをご自宅に訪ねたこともあった。
ブルース・トムソンの妹、キャサリンの結婚式がセント・カタリーナ島で挙行すると言うので、
呼ばれて参列したこともあった。
私の愚息三人とも、中学2年の夏休みはアメリカで過ごした。

 その友人の中の一人が宇宙人・今老子ことハープ・ダウティであり、
この好々爺・ハープダウティこそ「ヘックスとスパイラル碁」の創始者である。



 



「クレージー碁」

変わった碁盤を使ってプレーしよう、というイベント.
 例年出てくる3Dタイプが無かったのは残念だったが、若い人達は楽しそうに遊んでいた。