本耶馬溪(青の洞門)

車中の会話・・・その一


                                   高野圭介


耶馬溪満喫

耶馬溪に足を踏み入れた途端、中国は雲南省の石林に思いを馳せた。
その広大さにおいては桂林を。耶馬溪は天下の景勝には間違いないと思った。

   


「耶馬十渓」と、昔は言われたものです。
本家争いでは無いが、いろいろあって、いまは合併して・・・
 本耶馬渓・深耶馬溪・裏耶馬溪・奥耶馬溪・椎屋耶馬溪・津民耶馬溪・その他云々と
村上良憲和尚さまのお話は尽きることが無い。




 親鸞の悪について

 今回耶馬溪をご案内戴いている村上さんが浄土真宗のお坊さんであることを知った。

私の母が敬虔な親鸞信者であったので、歎異抄と悪人正機について、良く聞かされていた。
 私は親鸞の「悪人正機」は普通に「悪い」というのではなくて、反語のような意味深い「悪」と、思っていた。
したがってその「悪」について伺った。

 いっぽう、木藤さんは無茶苦茶強いので、「悪木藤」が至当で、この悪は強い!という意味である。

 


 さて、村上上人は「悪は悪いことだ」と事も無げに言われる。これこそ重大な反語と思った。

ここに、囲碁の反語を探ってみよう。二律背反の世界である。

「判ることは判らぬこと・判らぬことは判ること。」「攻めるは守ること・守ることは攻めること」
「キルは切られる・切られるはキル。」「全体は部分・部分は全体。」「打つは打たない・打たないは打つ。」