奥耶馬溪(後藤又兵衛

車中の会話・・・その二


                                   高野圭介



黒田官兵衛と大友義統の生死を賭けた戦が繰り広げられたのがここ中津であった。
死闘の後、黒田家が勝利したものであったが、・・・秀吉の影響は大きかった。



後藤又兵衛の墓があった。

秀吉の軍師でもあり、真田幸村の盟友・又兵衛は大阪で討ち死にしたとも言われるが、
又兵衛は義理堅い人であった。ゆかりの地で又兵衛は愛されているし、愛され方が半端じゃなかった。
中津との関係が深かったので、遠く、この耶馬溪に落ち延びて来たとも言われる。



折しも、大分合同新聞に又兵衛の逸話が記載されたと、木藤さんから送られてきた。

又兵衛は義経同様、簡単に死なせたくなくて、北海道へ、蒙古へ落ち延びたとの話がある。
イギリスのアーサー王の同様の話で、海を渡り、欧州各地に伝説として生き延びている。

瞑すべし 後藤又兵衛




 




皆さまの蘊蓄:艶笑話を二つ

又兵衛の「又」は逆三角形で、デルタ地帯でもあり、女性には独特の親しい部分でもある。
タイ国語ではその部分を「ツル」と呼ぶそうな。 



ナイル川デルタ。世界最大級の三角州地形である。

 
秀吉の軍師・小寺官兵衛は兵庫の御着の城主であった話から、兵庫のJR駅名で有名なのがある。

加古川から姫路まで「加古川・宝殿・曽根・ひめじ別所・御着・姫路」の駅があるが、
その、ホーデン(男根)・ソネ(女陰)と隣り合わせで並んでいるのがおもしろい。