幼い頃の想い出 

2022年正月
高野圭介 記




新しい年を迎えた。

少年時代の思い出が不思議にも
その情景がありあり浮かんでくる。



母と囲んだ「小倉百人一首」も。

嗚呼、懐かしい。


                           kei


 
少年の頃、大好きだった独楽回しが懐かしい。
「ひにべに奴の尻(ケツ)に糞がついて流れ川で洗うた」と言う
掛け声で一斉に独楽を回す。独楽をぶつけ合う。
楽しかった。
 今は昔。80年前の想い出である。



 正月には家族全員で書き初めをした。
その墨蹟?が今もなお当時の様子を無言で伝えている。





  腕白坊主という名?の少年のグループにもいた。

自転車で通りすがりの人をからかう。



「おっさん、おっさん・・」
「何や?」
「はま(車輪)廻いようで・・・」
「アホぬかすな!」
「糠が砂なら、米砂利かいな」と言って、
霧散し逃げる。



 

思えば、1945年、終戦を境に環境ががらりと変わった。

竹刀を捨てテニスに変わり、囲碁も手ほどきされた。
その冬、母肝煎りの小倉百人一首が始まった。
母一人に子や従兄弟六人が束に掛かっても勝てない、
楽しかった。

 小倉百人一首は須磨に出てきてから、
正月の須磨寺大会に参加したことがあるが、

第26回碁キチ会(2005年10月22日~24日)を
時代祭大会として京都御所で催したことがある。



圧巻は御所拾翠亭で歌留多取りをした。

20人程のメンバーが二手に分かれて、円陣で取ったのだが、
東京の中田良知教授と私:高野圭介が
それぞれの組で大半を取ってしまった。

 そのときの中田教授の弁がある。
「小倉百人一首は五十年ぶりで、家田隆二八段、
高野会長らと、眼と手の早さを競い、
五十年前の若き血が蘇り、熱くなってきた・・・と、
つい、口に出てしまいました。」

 私も全く同感であった。