井原とよ子作品





シンガポールのご縁


                           井原とよ子

 
 シンガポールでは雨期の終わりでしたが、本当に楽しく日が過ぎました。
ここ但馬は雪の国。暑さから寒さへ、身体が戸惑いしながら
私たち家族4名は今もなお南十字星の感激を話し合っています。


 碁吉会のHPは随分ありますね。いったいどのくらい?
何時間かかったら読み切れるか、時間を計って読んでいますが、
辞書を引き引きですから、いっこうに進みません。

 最初に読んだ「同行二人」には心を打たれました。

シンガポールに関する記事・・
海外囲碁事情の「新加波の囲碁事情」は門外漢でしたが、
高野エッセイの「違犯人・Offender」はとても面白かったです。
今読みました「
きさらぎの明月」はほっとしました。
でも、全般に無能な私にはとても時間がかかります。


  私について言えば、昨年9月に、30年間勤めた会社を無事定年退職し、
それからは毎日家庭で、平凡に好きな時間を過ごしています、
私は何の取り得も無い、のですが、手芸が大好きで、押し花
 水彩画を習いながら、自分の人生楽しんでいます。 
88歳になるおばあちゃんもいます。

んか異国での高野さまとの出会いは、
そんな私に神様が授けて下さったご縁のように思えます。
(HPを読ませていただくと、のんびりしないで、、、と、悟りを戴いた様で)
 HPを読んでも読んでも解けない難しい人。いったい高野さまはどんな方?
私に取ってはなにかの修業門に入ったようです。










自然に溶け込む生活

                                        
高野圭介

 ある日のこと、メル友から一通のメールが届いた。
「現在、自宅のイハラ・フラワーガーデンは今を盛りです。
4月24.25日に、ぜひおいで下さい」と。
そして追記があった。
「そのように定められ、そのように行われるのです」とも。
(As It is settled, So it shall be done ! )

 その日の天気予報は雨で心配だったが、汽車に乗ったら晴れてきた。
数日前から夏の暑さが続いて「花も早咲き」と聞いたのに、
突如寒い朝を迎えていた。
北へ向かって走ると、一駅ごとに1℃下がっていくようだった。
(行く前も雨、帰ってからも雨。まあ何と間が良いんでしょう)

 和田山駅に降りると、シンガポール旅友・井原大人が.
わざわざお迎えにお出で戴いて、ご自宅に直行。
乙姫さま二人の「ニイハオ」と笑顔いっぱいのお出迎えだ。
早々にご自宅の花庭へ案内された。足を踏み入れた途端、
山野の竜宮城かと眼を疑った。
真っ赤な霧島が今を盛りと羽を広げている。何というのでしょう!
口舌には表現しがたく、感性のアンテナだけがキャッチし、
心眼でのみインプット出来る世界であった。

 かの名瀑・天滝に向う。
 ずいぶん手入れされている道をどんどん進むと、鼓滝がある。
何と箕面の滝から引っ越してきたか、と思ったが、渓谷の風情が違う。
更に奥へ・・・糸滝が見えてくる。女性のしなやかな白い手が
すーと伸びてきたように、白い糸が垂れて見える滝。
富士山にも、赤目四十八滝にもこんなのはない。
やがて下流では円山川となるのだが。

 どんどん登り、道はいよいよ急。突如として現れた天滝。
昨日までの雨で、今日は格別水量豊かな瀑流だ。

見れば滝壺がない。不思議な滝だ。双眼鏡で観察したら、
飛沫が木の葉を裏返すように太陽にきらきら輝いて跳ねている。
スイスのトゥルンメン・バッハが洞窟から弾き出されて、
生を受けた奔流のように勢いずく、同じエネルギーの発散。
実測 98b の高さから ドゥドゥドドゥと落ちて来る。
 私たちは滝の正面に陣取って、円陣を組んで、
新緑の恵みを謳歌しながらお弁当を広げる。

 聞けは、天滝の落ち込む水路は幅わずか1bばかりの静かな流れだそうな。
それが激変して、100b下まで急落下寸前の姿だとも。
その天上の周辺には有機栽培の大根畑になっていて、
真っ白な大根がすくすく育っているとか。
おそらく「亜麻色の髪の女」という名の天上の音楽に首をふりふり
健やかに育っているさまを想像したりした。

 道すがら「山田風太郎記念館」の看板が目に止まる。
案の定「風」の風太郎だった。関宮の出で、『人間臨終図鑑』を書き、
死に際し「モウオシマイニシヨウ」と言った勝海舟に共鳴していたとか。

 やがて、キンキラキンの新興宗教風のところに行った。
真言宗ではあるのだが・・・
200億円余りをかけて作ったといわれる大仏像伽藍だった。

回廊の色紙に曰く
「お布施とは余っているものを与えることでなく、必要なものでも差し出すことである」
「人が笑うとき、何に笑うかで、人格が知れる」と記してある。
どうしてだろう、何の感慨も起きてこない。ただ甘酒が旨かっただけだった。

 夜は「マーライオンの叫び」の集いになった。
かってのシンガポールからのご縁で、天のお引き合わせだったから・・・。
 但馬牛のしゃぶしゃぶ、但馬産松茸の茶碗蒸し、
はたまた一つ一つ山野草の珍味に舌鼓を打った。

夜話に、自然の生活と街の生きざまについて語り合った。

街では週単位の予定通りに身も心も企画されたルートを歩む。
田舎では、お天道様次第というか、四季の移ろいに身を委せる。
したがって、時の流れがゆったりとして、自然に身をゆだねている自分。
街中では、あくせくというわけではないのだが、何か予定に従わないと、
むしろ、社会からの疎外感さえ感じる・・・そんな生活になっている。

この基本的な生きざまの関係というか、違いは
「何かしないと、していない」と実態がないように感じ、
リラックス、ストレス・・などに現れるのではないか・・とはいえ、
街には街の、田舎には田舎のよさがあって、
それを解り合うのは困難な点も多々あるが、やはり自分が、
まず深く自然と融和してしまうことがなければ、やはり理解に苦しむだろう。

やがて夜も更けて、
昼間の庭に明かりが入る。かの真っ赤なキリシマが
三階の楼上に彫り深く浮かび上がって見える。
 パッと明かりが消えたら、音もなく闇の世界。目も慣れて、
ほどよい暗さに星が綺麗。降るほどの星の瞬きにしばしたたずんでいた。

 春  夜
                     蘇 東波 作

春宵一刻 値千金
     花に清香あり  月に陰有り
  歌管 楼台 声 寂寂
  鞦韆 院落 夜 沈沈

 朝、早々に不動滝へ行く。
名は体を表すというが、泰然として動かざることという雰囲気。
子供の時は怖かったと述懐されるように、確かに神秘的な滝だ。

 滝壺へ導入路の竹藪?に、竹の子が出ている。何と、
井原大人は足でタケノコの周りをごそごそしたかと思うと、
テコンドの蹴上げ要領でトンと蹴ればすぽっと採れる。
私は「テコンド・タケノコ」と名付けて、帰ってから すぐ、
湯がいたサシミを肴にしてビールをなみなみ注いだものだ。

 帰りは、明け延べ鉱山の最後の姿を見て、竹田城址へ・・

 竹田城は別名を「虎臥城」ともいい、美しい城址だった。
山名宋全が13年間掛けた筑城とか。
特に朝夕の霞・霧の包まれたときは、美しさが一段と増すという。
又の名を「天空の城」とも言われる。高さも色合いも違うが、
確かに、芝の庭を味無く、ローマのコロッセ風にしたら、
天空のたたずまいもスケールも、
ペルーのマチュピチュにも似てくるではないか。

 帰りは山道・城道を回って回って回って・・駅まで。
又の日は須磨の浜でと、約して別れた。

 ここ、大屋は何としても村の佇まいがいい。人柄が良い。
1反歩が100万円の廉価なところである。
しかもますます過疎が進んでいく運命にあるという。
借りてよし、買ってよし、しばしの囲碁道場の根拠地にならないかな?

夏の盛りに長会(チャンフイ)をここで実現したくなった。
滝があり、山菜があり、山があり、スーパーもプールもある。
 とりあえずは「おおや農村公園のペンション・翡翠とか、コテージ」で
ヤマメやスイカを食しながら碁の勉強に打ち込みたいものだ。