碁吉会醍醐寺大会のレポート 2012年4月7.8.9日 京都・平安ホテル・醍醐寺
高野圭介 |
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人波に浮かれ | 花と言えば桜のこと。日本中の人々が快晴に恵まれて、 花を求め、花に浮かれ、憂さを忘れた4月8日はまさしく特異日。 古来から、お釈迦さんの花祭り(灌仏会=生まれた日)、 太閤さんが大花見をした日として伝わってきたその日、 碁吉会の猛者も醍醐寺に浮かれ出た。 浮かれかたも初めの体験。先ずは人波に浮かれた。押し合いコンボに浮かれていると、 花も花だが、やがて花が鼻に変わり、右見ても鼻、左も鼻。 |
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御所の桜 | いやいや、碁には填まった三日間だった。 いつものパレスサイドホテルから、故あって平安ホテルに替わり、 環境も変わって、リーグの総当たり方式が闘志をかき立てた。 有名なホテルのかの日本庭園に重厚な雰囲気も浮き上がり、 御所の桜も一興華を添えた。 |
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御所と 蘆山寺 | 御所と言えば普段見せないところを見せる日だったとか。 皆さまは隣に居ながら碁に夢中で、それは余り縁が無かったようだが、 ご同伴の中田和子さんは催しに行ったとか聞いた。 源氏物語輪読中の佐伯美礼さんは早朝散歩の道すがら、 蘆山寺を訪れて、大収穫のお土産となった。 |
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点数制リーグ戦 | 囲碁大会は段位制を廃止して、点数制に定着してきた。 当初は不安だったが、これが大成功。持ち点は各自点数の多寡だけであって、 段の何段とかいう強さのバロメーターで威圧しようといった表現が無いから、 誰しも平等で、見た目に負い目を感じること無く気持ちよく碁が打てた。 不思議なことに、これが一つの大会成功の基となったとは。 |
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蓄積した地力 | それかあらぬか、大会の結果は、何と、強い者が負けた。 敗退して「優勝候補が負けた!」と大声で、自分でアナウンスした強者も居た。 勝った者はやはり実力者で、日頃からの修練がものを言ったとか。 修練とは負けて悔しがることかと連想したが、 蓄積した地力の保持者に強運が着いたという説もあった。 さすがさすが。そうでなくっちゃ、ねぇ。 |
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気合いの入った碁吉会の碁会 宮垣 実 昨4月9日碁吉会醍醐寺大会18名(男12名女4名)の二泊三日囲碁漬けから帰ってきた所でありました。 高野会長から投稿をと言われれば、今回で41回目を数えた碁吉会のことを述べなければと即思ったわけです。 毎年とでも言えるパレスサイドホテルの利用は今回結婚式の予約が入っていたために 京都平安ホテルで二泊することになり、碁を打って遊ぶには少しばかり贅沢をさせて貰いました。 旅先どこへ行きましても24時間碁が打てる会場を確保しなければ企画出来ないのが碁吉会の宿命ですから 今回も観桜の日にちと長期天気予報と曜日の選定etcホテルの都合も4月8日はベストグッドタイムでした。 雨月茶屋でお昼を頂いて枝垂れ桜の観賞に出かけてはみたものの、 行く先々は人、人、人で拝観入場券を買う人の行列ばかりで大混雑。 余りにもタイミングが良すぎたとでも言いたくなる観光となりました。 太閤行列は雑踏の波に揉まれながらよく見ることが出来ましたが土牛の桜とか 秀吉の時代を彷彿するような雰囲気とは天と地の相違がありました。 大会の運営は過去、自主申告制の段級位でもって長く続けて参りましたが 最近は段位差とハンディーの関係をよりシビアーに設定するために、 専ら点数制を採用して打ってもらっています。 トップはプロ棋士の300点余、初心者(石はどうしたら獲られるか分かっている人)は 80点位が妥当ではないかという点差で置き石とコミ石数を決めております。 お茶とか俳句、カラオケにダンス、紳士淑女の遊びは多々ありますが、 勝ち負けが決まる遊びはなんと言いましても気合いがはいります。 広縁のある閑静なお部屋で和装のご婦人が碁盤を囲んでる姿は源氏物語の時代へ タイムスリップしたような情景に見てとれ、本当に素晴らしい絵になる景色です。 |
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戦績発表 | 総当たり制リーグ戦 1位・宮崎信嘉。 2位・武田康。 3位・松本倶之。 4位・原田芳宏。 5位・関口清。 13路盤トーナメント・エイトマン優勝 パート1.1組・武田 康 2組・松本倶之 パート2.1組・宮崎信嘉。 2組・関口 清。 13路盤ペア碁優勝 A組 佐伯敏治・原田^子組 B組 馬場宏三・中田良知組 家田先生認定特別賞(3名) 中田良知。 関口 清。 木下ひさえ |
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大会特選三棋譜 |
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