一票の差に思う




                                               2016年6月10日

                                               高野圭介

ペルーのケイコ
ペルーのケイコ・フジモトが遂に僅差に泣いた。6月10日(金)テレビが報じた。
ケイコの得票率は49.88%で、0.12%足りなかった。



投票から開票へ。それだけでも長い時間であったろう。
審判の公明正大というのは、悲喜交々の様相を呈すものだ。

町長選挙
かって、
わが山崎町の町長選挙に、安井金三郎が立った。 結果は僅差で敗北。
その開票の明くる日は碁会だった。明けてその朝
、碁の場に一緒に歩いたのだが、私は不躾な質問をした。

「こういう時、候補者も残念でしょうが、支援者も力が抜けますね」

「そりゃね、候補者は人間が出来ているから、案外達観しているものさ。
むしろ、取り巻き連の方が、気落ちしているかもね。」



一票差で負けた
また、今は姫路市に合併しているが、以前は安富町で、町長選挙があった。
小林善郎が立って、結果は一票差で負けた。

応援者は「再審請求をして下さい」と詰め寄った。

しかし、クリスチャンである小林候補は従容として
「神の思し召しで決まったもので、私は結果を尊重します。」と諭した。

再審要請
碁の半目差でチャンピオンを失ったような例は結構ある。
競馬の鼻の差、大相撲の写真判定。スポーツには付きものだ。

しかし、その再審要請は聞いたことが無い。皆さま立派だ。

ルール違反か
 先だって、テニスをした。独りフットフォールトを平気でやる人が居る。
皆は見て見ぬふりをしている。
「遊びだからいいじゃ無いか?」とでも言わぬばかりである。



 テニスの巧い下手を言っているのでは無い。ルール違反かどうかである。

「心根」というもの
今、桝添知事が道義に反していても、ルール違反で無いから問題ないと、言っている。



しかし「違法で無ければいいというものでも無い。」
あ、そうだ。ルール違反の前に、in law も out lawも
民意とか、道議とかがあって、「心根」というものもあるものを。

 YES ON 15


 もう40年も前、アメリカで「YES ON 15」という看板が立っていた。

これは原子力の平和利用に、原子力発電とか、アイソトープなどの
平和利用について15の課目で、「YES or NO」の民意を問う看板だった。

その結果から法律が生まれる。つまり、法というルールには
その前提としての民意がものを言うものなのさ。そう教えていた。