四大文明を思う

イラクの内戦状態を憂うとき

                                      高野圭介


妥協を許さぬ世界


凄い世界がある。絶対に妥協を許さないという世界だ。
信じることで成り立っている世界。宗派・民族の対立が主である。



宗教の分布図

日本の多神教   
日本人は多神教というか、いろんな神様・仏様が同居していて、
住処を分かち合って存在する。
日本の神仏の世界は「これがほんとうの宗教だろうか?」と言えるぐらい鷹揚で、
「自分だけ信じていればそれで良い」と懐の深い寛容の精神に満ちている。

その原因は何か?
天皇は神教、武家は禅宗、底辺の百姓は真宗、地域は氏神様、
あるいは真言宗と、それぞれが生き抜く懐柔策に拠り所として温存された。

日本では孔子の儒教は道徳論であって、宗教ではない。ところが、
中国では孔子、老子は思想家で、仏教同様宗教のようだ。


 宗教の絡んだ戦争


そこへいくと、イスラム教のアラーの神様。
キリスト教のキリスト様は一神教なるが故に、
信心が深くなればなるほど排他力が厳しくなっているようだ。

他の宗教を邪教として廃するのは分かるような気がするが、
同じ宗教の中で、**派と××派はちょっとした問題点で対立した場合、
元の根っこが同根だけに、ますます相容れないものらしい。
ここに宗教戦争が惹起する。

宗教の絡んだ戦争は妥協がないから、とことん対立し、
果たして収拾のつく目途が立たなくなっているのではないか。


民族の抗争



化石人骨の主な発見地

民族の対立も相容れないことが多い。

民族の抗争は有名なのはカルタゴの滅亡とか、
ナチスとユダヤのように種族を根絶やしにしてしまうほどの
報復を伴うこともしばしばだった。

イデオロギーの相違
イデオロギーについても同様に感じる。

生活に関わっているすべてが政治なら、
政治・社会思想の相違も相容れないことの決定的なものだ。

戦後、朝鮮半島の南北の対立を見るとき、
もし、日本が北海道とか九州が共産圏の一員となっていたら、
同様のことが惹起していたかも。

Ideologyなんて、空想の理論ように感じる節もあるが、
どうしてどうして、生きていく基本なのだ。

四大文明の滅亡 


振り返って見ると、
世界の四大文明はチグリス・ユーフラテスの流域であるペルシャ。
ナイル河のエジプト。黄河の中国、インダス河のインドと教えられた。

歴史上、
「どうしても解明できないものは、古代インドだ」で解決していたものが、
昨今では「分からないものはペルシャだろう」で
いちおうの解決を見ていると言われている。

その四大文明もいつかは衰微した。

人口の増加に食料の供給が間に合わず、
乱作の為田畑が痩せて、塩が吹いてきた。
バクテリアの生存できない砂漠化のため滅亡したという説だ。

あるいは他民族の侵攻による滅亡とか、
洪水が原因とも言われているようだ。

 四大文明の現状  
それから数千年経った四大文明の現状は
世界列国の一員として共存してきたペルシャことイラク。
現在のエジプトは報道に依れば、イスラム教など
宗教の絡んだ政情不安にあり先行き不透明の感がある。

中国は原則として無宗教。黄河周辺は黄砂はともかく、
pm2.5汚染の真っ只中にある。

インドは永年の植民地から逃れ、カースト制も解放され、
ようやく政情は安定しているようだが、現状は知らない。

 宗教心は不滅  
元来、宗教心は不滅である。
宗教は何億何百億という人を救ってきた。だから宗教なのだ。

しかし、不滅であるが故に、宗教戦争も永遠に不滅なのだろうか。
偉大な宗教の教えは今こそ宗教を超えて
平和を謳歌する人間社会を目指せないものか。