一番新しいのは、もう古い 



                                                    高野圭介

一番新しくて 
「今度ね、パソコンの凄いのを買ったんだよ」

「へー、どんなのを?」

「一番新しくて、凄いの」

「そんなに古いのを!」

そこで、会話は切れた。 


 新しいものとは

古いもの

 
昨今の日進月歩の ITの世界に、秒刻みで新しいものが創造され、世に送られている。

直近発売の最もナウイ賞品でも、せいぜい数ヶ月前に発明されたもので、
ただ今、この時点ではもう古くなっている、と判断するのが至当である。

いまから、数ヶ月先には、ほんとうに今よりナウイ商品が出回ってくる筈だ。
だから、新しいものとは古いものだ。



どうでも、一番新しいものしか求めないと気が済まないという人は、
何一つ生涯買い求めるチャンスは巡ってこないだろう。

一番という名 
「一番という名の貼り薬」だったか、「一番という名の風邪薬」だったか忘れたが、
そのような名前の薬があった。

薬事法で、
「最高級のたんぱく質」の「最高級」のような、最大級の表現は使用できない
とあるのを、
「一番」という名前を付けて、うまく逃避しているのに出会ったことがある。

政治資金規正法がザル法であると言われているが、
なんとなく、法律の谷間をすり抜けているような感じだ。

新しい定石 
私が家田隆二八段に碁の指導を受けて、もう15年ぐらいにもなるだろうか。
いつものオドロキは「定石の変化」の解説である。



定石は決まったものの感があるが、とんでもない、定石は活きていて、
裏があり、裏の裏があり、周辺のちょっとした変化で、ガラリと様相を変える。

それでも、
安定している定石があって、その定石が、
時と共に、時代と共に評価が変わっていく。
そして、新しい定石に生まれ変わっていくのを知る。


 石のうごめき
ITの世界と同様、あの狭い碁盤の上で、
アメーバーの分裂・合成、ないし史的弁証法の世界の如く、
石のうごめきで驚くべき変化が生じている。

それが、家田先生の手によって
マジックのように提示されては、私の好奇心を満足させて余りあるのだ。