「人間の業の肯定」 立川談志の落語論は「人間だから」というのである。 高野圭介 |
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なずんでいる落語 | 談志師匠は欠点だらけの人間の生きざまを描くのが本質として 「落語とは人間の業の肯定」と唱え、卓越した心理描写で語る 「芝浜」や「紺屋高尾」などの人情ばなしを得意ネタとした。 「傘碁」「長屋の花見」「寿限無」などは私には自分自身を浮き彫りにしているように感じて、 自分が最も親しみなずんでいる落語なのです。 その主題は、いたずら、忘れやすい、ごまかし、おかしみ、などに満ちており、 テレビの「ひょっこりひょうたん島」「お江戸でござる」など、 「すぐバレるいたずらをしてベソをかく」人間らしさが同質で、私の中で同一化していく。 |
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人間なのだから | 人間の業なんて早く言うと「何しててもいい。」そういうことなんで。 それも人間だから、これも人間だもん。喜怒哀楽、悪事善行、すべて許される。 生きている人間なのだから。 つまり、人間だから、やられても、ゆわいちゃっても、 してもしなくても、すべて許されると思います。 |
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談志師匠 |
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ここに指導についての談議は「碁は人間の業の肯定」で納得した。 碁の学習・自習にも当然該当する。 否、自習のみならず、碁に親しむ姿そのものだ。 ところで、みんなの碁はおよそ3つに分かられる。 その内の、どれでも良いし、ダブっていても構わない。 それが何であれ罷り通っていくのは、それが自分だけの碁であるからだ。 1.棋戦に出て、 トップの棋力を争う。 2.囲碁を考え、碁の真理を追究する。 3.棋友と打つだけで、存分に楽しむ。 |