フォッサマグナ

日本列島は真ん中辺りでまっ二つに割れていた

                                                   高野圭介

 山岳部
昭和26~7年というから、もう60年も昔のこと、学生時代に、囲碁部とテニス部を立ち上げて、
2つの部活に忙しかったが、親友の福岡耕造君は山岳部で活躍していた。ある夏、

その山岳部で、中房温泉から燕岳、大天井を横に見て、槍のてっぺんに登った。
北穂高、穂高、奥穂高と縦走したりした。途中、ジャンダルムも行った。

そのアルプス銀座縦走に便乗して私も参加した。
2㎏ぐらいの軽いドンゴロスのテントを持たされたが、
一度雨に遭ったら、重さが何倍にもなる代物。何も知らぬ私は後で泣いたが。



 大糸線
そのとき、松本から大糸南線に乗ったのが、今は大糸線になっている。
何でも、糸魚川から糸魚川沿いに南へ延びた大糸北線とドッキングして、
一本になり、松本と糸魚川を繋ぐ大糸線となったらしい。

懐かしい北アルプス連峰は本場ネパールから見たアルプス同様、
マグマの活動により土地が隆起して大きな土地の皺が山岳となったものではないか?と、
疑問を持っていた。

その疑問はまさに当を得ていた。
 
 光と森のページェント


 先だって、たまたま信州は松本の「アルプスあづみの公園」へ行った。
光と森のページェントと銘打って、森の中に妖しくイルミネーションの輝きが広がっているのだ。

 その中に、
科学館があって、そこで奥から取り出してきて提示された
フォッサマグナ:
fossa maguna の図。

 これこそ、北アルプス誕生の秘密のキイーであった。

フォッサマグナ 


大地の年表

新生代の頃、日本はほぼ大糸線の太いラインで東西に2つに分かれていた。
 

    フォッサマグナ概念図2

フォッサマグナ(Fossa Magna)はラテン語で、「大きな溝」という意味
フォッサマグナの範囲は植村((1988)による。

 
大きな溝で

日本は2つに

分かれていた。

 
上の図にように、古い時代の岩石(おもに中生代・古生代、「薄い茶色」)でできた 、
ほぼ南北方向の溝の中に、新しい時代の岩石(新生代、「緑色」)がつまっています。

 この溝は、上空から見下ろしてわかるような、地形的な溝ではなく、
山々をつくっている地層や岩石を知ってはじめてわかる「地質学的な溝」です。
この「地質学的な溝」を、ナウマン博士は「フォッサマグナ」と呼びました。



 ナウマン博士は、フォッサマグナの西縁を
糸魚川 -静岡構造線、東縁を直江津-平塚線と考えました。

明瞭な地質学的な溝をさがすとすれば、上の図のように、
西縁は糸魚川-静岡構造線、東縁は新発田-小出構造線と
柏崎-千葉構造線にはさまれた地域となります