ルターの自由・碁吉会の自由

                                                    高野圭介


「贖宥状(免罪符)の販売」 


ローマ教会は、サンピエトロ
大聖堂の改修などの資金集
めために、ドイツで贖宥状の
販売を大々的に始めた。

贖宥状を購入すれば、罪が
許されるとのふれ込みだった
が、福音書に則った信仰の
みが神に救われる手立てだ
として、ルターが『95ヵ条の
論題』を掲げてこれを批判。

ドイツを中心に大きな波紋を
沸き起こした。

ルターはこれにより教皇レ
オ10世から破門を受けてい
た。


 

 マルチン・ルターの話がテレビから流れてきた。

「贖宥状を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ飛び上がる」
という言葉である。


贖宥状(ショクユウジョウ)とは
16世紀、カトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。
免罪符、免償符、贖宥符とも。ラテン語表記は
"indulgentia

また、日本においては「罪のゆるしを与える」意味で、
責めや罪を免れるものや理由、行為そのものを指す。.




 ルターは、煉獄の霊魂が、本来罪の許しに必要な秘跡の授与や悔い改めなしに
贖宥状の購入のみによって償いが軽減されるという考え方を
ルターは贖宥行為の濫用であると感じた。

この煉獄の霊魂の贖宥のことを言っているのである。




ルターの自由



ルターについては、
ローマ・カトリック側はルターを「異端者」、「好色家」、「犯罪人」と呼んで批判した。

詳細はインターネットで、しっかり紹介されている。プロテスタントのその名通り、
強烈な批判の対象になった。いつ死刑にされてもおかしくなかった。

コペルニクスも同様である。


 ルターは「キリスト者の自由について」を著している。

その中で、ルターのドイツ語版で使っている自由とはどちらかというと
「〜からの自由」ではなく「〜への自由」という意味を持っています。

したがって、これは単に「律法からの解放」という意味での自由という意味だけではなく、
「律法から解放され、福音へ属する」自由という事となる。

そして、ここで「キリスト者」とあるが、
当然キリスト者とはキリスト者となったのではなく、キリスト者とされた者の事を言う。
 つまり、
「考える自由」「決断する自由」「自由に考え、自由に発言できる・・・云々」を説いている。

 そして、カトリックからプロテスタントへの自由が事実となって来たのです。

 碁吉の自由
 私はかねがね
人生の権利の中で「自由」というものがもっとも大切なものと思っていた。

 碁吉会を立ち上げた時、
「とにかく自由で楽しいのです」と自由を第一のモノとした。

1. 縛られるものがない・・・自由な会
 会には、いつ入って、いつ止めてもいい。高段者から初心者までいろんな方がいて、
男女がほぼ半々なので、真剣で、華やかで、笑いが絶えない楽しい会です。

 2. 会費は無料。入会金も年会費もありません。参加したとき、実費を払うだけ。

 3. 禁煙・椅子席対局で、空気はきれいし、環境は抜群ヘルシー対局です。





 碁吉憲章



碁吉憲章・・・・・五つの基本姿勢

 碁吉会のテーゼを謳い挙げた「碁吉憲章」は存在感を示しています。
 この憲章こそ碁の基本理念のジャンルを網羅し、碁に関するあらゆる
 アングルの視点に立って練り上げた囲碁哲学の吐露とも言えましょう。

一、
我々は碁吉である

二、
我々は囲碁を愛好し、棋力の向上に努める

三、
我々はそれぞれの囲碁観を持っており、それは侵されない

四、
我々は囲碁の普及に微力を尽くす

五、
我々は囲碁を通じて人生の歓びを分かち合う


中でも・・・

第三条に、我々はそれぞれの囲碁観を持っており、それは侵されない」について、
この特に
「侵されない」というのが驚異だったようで、
「おもしろいね」と格別の反応を示されたのが吉田美香、水戸夕香里両プロであった。