棋友と群れの集い |
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碁吉会の産声・・・前夜 1990年春 |
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いよいよ 碁キチ大集合発足 1990年秋 |
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碁吉会のテーゼを謳い挙げた「碁吉憲章」は存在感を示しています。 この憲章こそ碁の基本理念のジャンルを網羅し、碁に関するあらゆる アングルの視点に立って練り上げた囲碁哲学の吐露とも言えましょう。 |
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一、 | 我々は碁吉である |
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二、 | 我々は囲碁を愛好し、棋力の向上に努める |
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三、 | 我々はそれぞれの囲碁観を持っており、それは侵されない |
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四、 | 我々は囲碁の普及に微力を尽くす |
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五、 | 我々は囲碁を通じて人生の歓びを分かち合う |
詳 説 「三、 我々はそれぞれの囲碁観を持っており、それは侵されない」について この第三条に「おもしろいね」と格別の反応を示されたのが 吉田美香、水戸夕香里両プロであった。 特に「侵されない」というのが驚異だったようだ。 「趣味の世界には他者性や批評性が無く、ただ仲間がいるだけだ」と、 いみじくも村上龍は言っている。 聞き慣れない言葉だが、ここに他者とは「自己に対する他者」。 哲学上では「あるものに対する他のもの、自己に対する何ものか」。 つまり「他者性がない」とは 「自己性でいい」あるいは「他人につべこべ言われる筋でない」 批評とは「事物の善悪、優劣、是非などに考え、その価値を評価すること」 つまり「批評性がない」とは「他人の作品などの評価などすべきでない」 ここに趣味の世界を囲碁に置き換えてみよう。 「碁はその人の囲碁観の発露である。 碁の少々の上手下手など問題じゃない。 碁の好きな人が集まってきているんじゃ。 その仲間が今ここにいるんじゃ。 他人の碁に口を挟んで言うんじゃないよ。 君も自分も碁を打つだけで楽しいじゃないか!」 囲碁哲学の神髄を簡明に謳い上げているのである。 |
「とにかく自由で楽しいのです」 1. 縛られるものがない・・・自由な会 会には、いつ入って、いつ止めてもいい。 高段者から初心者までいろんな方がいて、 ほぼ男女半々なので、真剣で、華やかで、笑いが絶えない楽しい会です。 2. 会費は無料。入会金も年会費もありません。参加したとき、実費を払うだけ。 3. 禁煙・椅子席対局で、空気はきれいし、環境は抜群ヘルシー対局です。 |
山口県防府の門田節子さんから届いた信書の一部をご紹介します。
”会員の皆様は碁の発想も特異でユニークな方の集まり。
さしずめ「碁百羅漢」さんのような方々だと思いました。
でも、私などが入れていただくと、とたんに 「碁百楽観」 と
格下げになるか知らんと、勝手に納得したりしました。“
・・・・けだし名言ですから”碁百落款”を を押して飾りましょう・・・・