胡麻の蠅


 昔のイロハも、今からはどしどし死語になってきそう。

                                               高野圭介

犬のクソ 
 毎朝、6時半のラジオ体操に、6時に家を出て、散策するのだが、
須磨海岸まで15分の道程を
犬の糞の処理がきちっと守られていないのに驚く。

 途中、国道2号線を跨ぐ歩道橋に犬の糞が7ヶ所見つかった。
海岸の松原の中なんて、想像に難くないだろう。

         

 その辺の居るお犬様の誰か、正体を見たいが、
現場が押さえられず妙に特定しにくい。
蠅みたいに大勢居るが、肝心のときは霧散するのか。

 この「胡麻の蠅めが」と言うと、
「ちょっと違うで。。。。
そやけど、胡麻はいっぺんバサッと広げたら,拾うのがたいへんや。
蠅もサッと集まるが、パッと逃げる。」

ゴマノハエ 
「胡麻の蠅って、ほんとうはどういう意味なんだろうな?」

 ゴマノハエとは「胡麻の蠅説、護摩の灰説」があるらしい。
どちらにしても良い意味は無い。



「昔、旅人の姿をして、道中で旅客の持ち物を盗み取った泥棒。
高野聖のなりをして、弘法大師の護摩の灰だといって
押し売りして歩いた者があったところからの名という。」

「胡麻にたかる蠅がそれとなく近づき、
しつこくつきまとうイメージが語源とされる。」

月夜に釜抜く 
「月夜に釜抜く」というイロハカルタがある。これも分からんかった。

かるたの絵札を見ると、泥棒らしき人物が尻ばしょりして、
豆絞りの手拭いで盗人かぶりをし、大きなお釜をかついでいる。
空には、大きなまんまるなお月さまが輝いている。

 意味は「釜は大事なものだ。それを月夜に盗まれるというのは、
よほどドジな奴だ。つまり油断大敵という意味だ。」と。



 身は身で通る
「身は身で通る裸坊主」というのもある。

 人間は、人それぞれ特徴があり、能力も違うが、
身体さえあれば、どうにか世間を渡っていける。

 一つは、身分や貧富、賢愚にかかわらず、
人はそれぞれ身の程に応じて生きてゆくものである。
又、人は皆、結局、自分本位に生きてゆくものである。

 尻食らい観音
「尻食らい観音ないし、ケツくらい観音
」は
困ったときは観音を念じ、楽になると「しりくらえ」とののしるところから、
受けた恩を忘れてののしること。また恩を忘れて知らん顔をしていること。

でも、「知らぬ顔の半兵衛さん」とはチト、ニュアンスが違うかな。