碁のパラドックス




                                                   高野圭介

碁の科学
昔、『碁の科学』安永一著の中に面白い記述があった。
残念ながら、その本はもう手許にない。

その、面白い記述とは
「碁のパラドックス」の論及であった。

パラドックス
それはさておき、パラドックス。
つまり逆説とは日常的、常識的真理に反しているように見えながら、
実は真理をついている表現だ。


宗教
梅原猛は「宗教はそもそもパラドックス中のパラドックス」と喝破する。
それは「
善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人においてをや
の親鸞の言葉もその典型だ。


頑張る時に
リラックス


 
スポーツでも、力いっぱい出すために、
無駄な力を抜けば、リラックスして本来の力が出せる。

自然体という心身の状態を作り出せれば、これに勝るものはない。
頑張る時にリラックスとは一種の逆説である。





碁の
パラドックス






こう言うと、「碁のパラドックス」とは、
ここ一番に、肩から力を抜いて打て!と、聞こえるが、

ここでは、
碁の本質に迫る。

 第一譜。
黒が天元に打ってから、白が天元にくっついて、
黒がどんどん手抜きするのだが、
すいべておかしい!

「ツケたらハネよ」「ハネたらノビよ」
「一目でトラスな」「ノビの一手」

黒の動きは
格言に反する、いわゆる悪手の連続である。


 第二譜。


黒が四隅を締めている内に、
白は中央に、ポンヌキの形を作った。とはいえ、
真ん中で、コスンで、コスンで、終いに又コスンだ。

白の動きはまったく不自然である。
たとえ、ポンヌキ30目と言っても、曰く、不可解!

さて、この第一譜、第二譜の、
二つの譜をご覧あれ。
天元の一目をトルか、空振りか、
たった一目の違いだけで、
片や好手の連続、片や悪手の連続。

これを如何と為す。


第三譜
では、このポンヌキを凝りガタとして、
一路ずつ広げたら、第三譜となった。

何と、隅対辺の戦いとなっている。

これはイーブンと言っても良い。

逆説的な価値観
第一譜、第二譜、そして第三譜の
逆説的な価値観からして、
どこから、どう打っても、たいしたことはない,から、
「どこへ打っても変わらない」という仮説が導かれる。

つまり、
「その手も一局」「この手も一局」であり、
「碁は一手の価値の追求である」という
論理が成り立つ。