碁は進化する 「隅から調和へ。そして戦いへ」呉清源の残したもの 高野圭介 |
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新布石 |
囲碁の革命といわれた「新布石」を編み出し、無敵を誇った 昭和最強の棋士、呉清源が百歳の長寿を全うされた。 1933年、木谷実九段(当時五段)とともに従来にはなかった序盤構想、 「新布石」を打ち出して囲碁界に革新をもたらした。 「新布石」は近代囲碁界の最大の功績の一つともいわれる。 |
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新手、新定石 |
呉清源の新手、新定石、 呉は新布石の他にも、多くの新手、新定石を打ち出した。代表的なものとして。 大ナダレ内マガリ定石に碁の品格を変え、「梅鉢に負け無し」と喝破した。 ちなみに、私:高野の初段までの棋書は「呉清源十番碁集」一冊が貴重であった。 |
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江戸時代 | 白黒の双方の言い分を通しながら死闘を争い、いい加減に分かれたとき、 隅の良い分かれを定石として定着した。つまり、分かれのサンプルだ。 隅の出入りを重視してきた伝統的な碁形では、金科玉条とされてきたもの。 したがって、「秀策の1、3、5」に代表される布石から、小目、目外しを 主体にした隅の変化の研究が大いに進んでいる。 なお、 本来、左右同型を好ましとしない碁では星・三三・天元は禁手とされていた。 |
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新布石 |
新布石はすべての制約を排除し、盤上の石の「一着の価値」を平等と考え、 位置的に、中央を価値が高いとして、まさしく破天荒な碁形を盤上に具現した。 呉の愛用した星打ちと小目への一間高ガカリの布石は多くの棋士が用い、 「昭和の1、3、5」と呼ばれた。 昭和の棋士たちのバイブルとなったのは呉清源打ち碁集であったと思う。 |
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今様の碁 「今様の碁」は 石田芳夫九段 の命名 |
21世紀になって、井山時代の到来以来、日本の碁が変わってきた。 世界の碁の趨勢に歩調を合わせているのかも知れないが、 序盤立ち上がりから、戦いに次ぐ戦いの連続である。 これを振り返るに、 江戸時代はお互いに生き合った定石を打って、後はヨセて終わり。 新布石時代では、中央重視から、碁盤の中央の価値が高いことを認めた。 昨今台頭の、ヤングパワーの特徴は 眼を作って生きるのでなく、相手の石を取って生きるという思想で、 昨今の傾向は、盤上で誠にドライな力と力の戦いに終始する。 |
呉清源名言 |
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勝負の秘訣は、無理をしないことです。 人間はだいたい無理をしたいんです。 というのは、欲望というものがあるから、誰でもみな、 金持ちになりたいし、大臣になりたいし、権力の座につきたい。 そこなんですよ。 無理をして失敗するんです。欲張って失敗する。 |