灰 さようなら・・・・遺言

                                         高野圭介

 ハイカラな遺言
 いつだったか、会話の中で子どもの誰かが
「骨を海に棄てろなど、変な遺言をしないで」と言ったことがある。

元々「死即無」と心得ているから、遺言なんて書く気なんぞからっけしもない。
それでも先人の二人の遺言は感嘆して覚えていて、
こんなハイカラな遺言が残せるものなら、と虎視眈々と狙ってはいるが。



「面白き こともなき世を おもしろく」  高杉晋作

「この世をば どりゃ お暇に 線香の
煙とともに  灰 さようなら」
                         十返舎一九

遺言の傾向 
最近、日本の遺言の傾向を見ると、毛利元就の三本の矢、
徳川家康の家訓のように子孫に伝えたいというのが多いいように思える。

西洋では遺産についての細かい指示が記載されているとか。そして、
現代の日本では。、女性が遺言状を書くケースが増加しているそうだ。 

囲碁界で衆知の辞世の句は

碁なりせば コウなど打ちて 活くべきに
死ぬる途(ミチ)には 手もなかりけり
                         本因坊算砂

 一休和尚の遺言
楽しい遺言には一休和尚の話がある。
一休は臨終の際「この遺言状は、
将来、この寺に大きな問題が起こった時に開け。
それまでは決して読むな」と言い残していました。



僧侶たちは、その教えを守り、決して遺言状を開くことはなかったそうです。
一休の死後、さまざまな問題が持ち上がる度に「いざとなれば
一休和尚の遺言状が解決してくれる」という安心感もあったようです。

一休の遺言状が、とうとう開かれることになったのは、
死後100年を経た後の話。

すがる思いで開いた遺言状には、こう書かれていました。

「なるようになる。心配するな」

 安藤広重の遺書  
浮世絵の「東海道五十三次」で有名な安藤広重(1797~1858)は、
61歳のときに流行したコレラにかかり、死を覚悟して遺書をしたためた。

居宅を売って久住殿の借金を返済してほしい。
本や道具類を売り払って現在の場所の立ち退きを、人に相談のうえ決めてほしい。

何事も金次第であるが、
その金がないので、どうとも自由次第の身であるので、
どうぞ納まりよい方法を考えて下さい。



 宗室の遺訓
博多商人の島井宗室(1539~1619)が、養子徳左衛門にあてて残したもの。
彼は本能寺の変の夜に信長に茶会に招かれ本能寺に泊まっていた。
火が本堂にまわったが無事脱出している。

宗室の遺訓(抄)である。

朝ははやばやと起き、日が暮れればすぐに床につくように心がけよ。
さしたる仕事もないのに灯油を使うのは無駄なことである。
また用もないのに夜歩きしたり、他人の所に長居をするのは昼夜とも無用である。

さらに、さしせまった用事は一刻も延ばすことなくすぐに済ませてしまうように。
それを後でやるとか、明日にしょうなどと考えてはならぬ。

時を移さずすぐにすませることである。