一行詩提唱 魂の一行詩とは、「いのち」と「たましい」を詠う一行の現代叙事詩のことである。 角川春樹 高野圭介 |
|
ギリシャの彫刻 | かって、 世界を囲碁行脚していて、ナポリの大理石で重厚な博物館を訪れた。 入り口からギリシャの彫刻が立ち並んでいる。 ギリシャ人のスラッとした鼻、ローマ人の特異な鼻のそれぞれの彫刻に驚いた。 ACC・新西洋史の師・鈴木利章によれば、 紀元前、ナポリがギリシャの植民地であったと聞いて納得。 注:品川俳壇では、たぶん眼にも止まらず、無視される一行詩? マーブルの秋ギリシャ鼻ローマ鼻 圭介 |
品川鈴子 | 私はかって、俳人・品川鈴子の教えを受けたことがある。 鈴子先生によれば「俳句は世界で最も短い詩」と説明があった。 当時、あたかも阪神大震災に遭って、 朝日俳壇に投句したところ、選者・金子兜太の眼に止まった句。 入選 「生きてるよ」地震(ナイ)三日後の寒電話 圭介 |
金子兜太 | 傾向として、 不定形句、前衛俳句、無季俳句など、 季題を無視した俳壇には問題視されてきた感がある。 金子兜太は現代俳壇の派閥主義に対し、大同団結を呼びかけている。 折しも、 角川春樹の「魂の一行詩」 「季語に甘え、もたれかかり、「盆栽俳句」と化し、 技術論ばかりで魂に訴えない「俳句的俳句」が横行する緩い俳壇と訣別し、 季語のないものも受け入れ、エネルギーを溢れさせるこの「一行詩」を提唱するものである。」 また、「秀れた俳句は秀れた一行詩でもある」とも言っている。 以下略 天元に鷲の爪研ぐ碁のいのち 圭介 |
角川春樹 |
今日生きて今日の花見るいのちかな なにを背に生きるをとこや花の雨 晩秋のひかりのなかで死なせてくれ 冷まじや過ぎゆくものを追ひかけて またとなきいのちなりけり蕗の薹 春樹五句 |